市中病院の病理診断医となって11年が経つ。2007年に札幌厚生病院に就職したぼくは、当初、こういってはなんだが、ちやほやされていた。医療者たちはみな、ぼくを熱狂して迎えてくれたのだ。
彼らがなぜ熱狂したか、おわかりだろうか。
彼らはようやく駒を得たからだ。大学に所属せず、たいした研究実績もなく、年を取っていない、すなわち「気を遣わなくてよい若輩病理医」という駒を。
彼らはすぐにぼくを使い始めた。はじめてぼくに声をかけたのは放射線技師であった。胃バリウムの勉強会に私を招き、胃癌の症例の病理を解説してくれ、という依頼がきた。
ぼくはうれしかった。この場所で、ぼくは求められているなあ、と思った。自分の思うところをパワーポイントに詰め込んだ。顕微鏡写真をアニメーションで出しまくり、模式図を書きまくり、1時間半の講演に400枚以上のスライドを作ってぶつけることもざらであった。
ああ、今、思う。
彼らはさぞかし、あてがはずれただろうなあ!
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