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梅崎春生の『黄色い日日』─終戦直後の精神科病院[エッセイ]

No.4908 (2018年05月19日発行) P.64

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2018-05-20

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1949(昭和24)年に梅崎春生が発表した『黄色い日日』1)には、抗精神病薬が開発される以前、ロボトミー(前頭葉白質切裁術)が行われていた頃の精神科病院が描かれている。

主人公の友人・三元が強盗事件を起こして、碑文谷署に留置された。そのため、2人の共通の友人で雑誌の編集をしている中山と善後策を協議した主人公は、中山の勧めもあって、精神鑑定を申請することにした。

主人公は、中山と一緒にM精神病院に出向いて、知り合いの精神科医に相談したが、その医師の返事は、「精神鑑定の件については、やはりその時でなければどうなるか判らないし、また法廷が精神鑑定の申請を受諾したとしても、その件がこの病院に依嘱されてくるかどうかも確実でない」というものであった。主人公は、その医師に三元の事件について説明したものの、医師は「別段おかしいところは無いじゃありませんか。筋道は通っているし」と言って、ほとんど興味を示さなかったのである。

医師は、「折角おいでになったんだから、院内でも見物しておいでになりますか」と、主人公たちを手術室に案内した。そこは何の変哲もない狭い殺風景な部屋だったが、医師が戸棚から大型のケースを出して中を見せたとき、主人公は「なにかひりひりするようなものが身体を走りぬけるのを感じた」。

それは手術の道具で、大きなメスや小さなメス、小型のドリルやいろいろな形の器具が整然と収められていた。ドリルは頭蓋に穴をあけるためのもので、メスを穴から差し込んで、前頭葉の組織を切り離すのだという。医師は、「脳というのはね、半熟の卵みたいにぶよぶよでしてね、切り離すとき血管を切断すると大変でしょう。だからこんなに鈍い刃を使うのです。こんな具合に手探りしながら」と言って、両手でメスを操作する仕草をした。

中山が「手術時間はどの位かかるのです?」と尋ねると、医師は「三十分位で済みますよ」と答え、「頭蓋骨の穴はそのままにしておくのですか」という問いには、「いえ。やっぱりふさぎます。ドリルで骨を削るでしょう。その破片や粉末が血と一緒になって、こねられて、粘土みたいになっているんです。そいつを丸めて、穴に押しこんでおくと、ひとりでにふさがっていますよ」と答えた。

医師によれば、手術は局部麻酔で行われるため、患者は手術中でも医師と話ができ、局部麻酔が必要なのも頭蓋の外側だけで、頭蓋骨や脳自体には不要なのだという。それを聞いた主人公は、「人間の、考えたり感じたりする実体が、それらの部分を金属のメスで手探りされたり切り離されたりする時、その実体そのものは何を考えたり感じたりしているのだろう」と、疑問に思うのであった。

主人公たちは病室の見学もしたが、「病棟の方には目新しいものもなかった」。そこでは、「ありふれた顔をした患者が、すすけた病室にいるにすぎなかった」。また、病院の構内では、背の高い痩せた男がゆっくり散歩をしていたが、それは「麻痺性痴呆の病名をもって、A級戦犯の法廷から除外された男」であった。

中山は、帰りの電車の中で、「精神鑑定を申請してさ、気違いということになれば、三元は無罪になるだろう。しかし三元にして見れば、気違いになるよりは、刑務所へ行った方がいい、と言い出すかも知れないね」、「その点から言えば、僕たちはひどく僭越なことをやってるとも思うんだよ」と、話していた。

それからほどなくして発売された週刊誌には、中山の精神病院訪問記が掲載されていた。だが、中山が力点を置いているのは病室で見た患者の姿で、そこには、医師から聞いた統合失調症に関する次のような説明が流用されていた。「如何なる事態にたいしても感情を発露させることのない感情荒廃の状態である。この不幸な人々は、近親者や看護人に対しても、何ら親愛の情を示すことなく、周囲の人々の心づかいに対しても冷然としている」、「かくして周囲の人々の感情が、患者に反応をもたらし難い状態となると、患者と周囲の人々との間の人間的関繋を取り結ぶ手段がなくなるので、患者は親しみ難い感情的疎通性に欠けた姿として印象づけられるようになる。ここに収容されている人々は、みなそのような不幸を背負っている」。

これは、有効な治療薬が開発されていなかった当時、一般に信じられていた重度の統合失調症者の姿で、その中には、ロボトミーの影響を受けた患者も含まれていたのではないかと思われるが、この作品には、後にその非人道性が批判されるロボトミーに対する批判は見当たらない。主人公は、脳実質にメスを入れることへの感覚的な違和感を抱くにとどまり、それを施行される当事者の心情や、脳を切除するという行為に伴う合併症にまでは思いが及んでいないのである。

もっとも、この時点でロボトミーに疑問を抱かなかった主人公を責めるのは、酷かもしれない。というのも、この作品が発表された1949年は、まさにロボトミーを提唱したモニスがノーベル医学・生理学賞を受賞した年だからである。岡田2)によれば、わが国でロボトミーが最初に施行されたのは1941(昭和16)年で、1960(昭和35)年頃までは各地の精神科病院で行われていたとのことであるから、終戦間もない当時、医師ならぬ主人公がロボトミーの非人道性を見抜けなかったとしても、無理からぬところがある。また、そうした状況であればこそ、M精神病院の医師も、特別な罪悪感もなくこの治療法の説明をしたのであろうが、それにしても、医師が病棟の中まで見学させていることや、主人公が友人の罪を軽減するために精神鑑定を利用しようとするあたりには、時代を感じさせるものがある。

なお、この作品には、M精神病院で患者を撮影できなかった中山が、病院の灰色の建物を背景に撮った主人公の写真を入院患者として掲載したというエピソードが記されているが、この作品が発表されてから10年後の1959(昭和34)年に梅崎自身が「鬱状態―不安神経症」3)という診断で入院していることを思えば、『黄色い日日』は、梅崎にとって多分に予言的な作品だったと言えるのかもしれない。

【文献】

1) 梅崎春生:桜島・日の果て. 新潮社, 1951.

2) 岡田靖雄:ロボトミー. 現代精神医学事典. 弘文堂, 2011, p1091-2.

3) 廣瀬勝世:ふしぎな患者. 梅崎春生全集別巻. 新潮社, 1988, p275-7.

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