キューブラー・ロスの『死の瞬間』に書かれていたと思うが、数多の蘇生患者から直接に聞き取った話として、生来の視力障害者が息絶えた瞬間に自己の身体が見えた、また、ある人からは亡くなった両親や兄弟が傍らに現れた、という体験を語ったという。
臨死状態になって、蘇生した人は様々な体験を語っている。
臨死状態という、死でなく生でない瞬間というものが、人間には実際に存在するものなのかと考えるが、よくわからない。
立花隆氏は「臨死体験は事故や病気などで死にかかった人が九死に一生を得て意識を回復した時に語る、不思議なイメージ体験である」と書いている。
一体、意識を失ったときにみる幻覚に過ぎないのか、いやしかし、単に意識障害だけの体験ではなくて、危篤状態でまさに死に至る寸前に蘇った人の体験であるようだ。
臨死体験の経験談の中で最も多く語られる内容では、野原があって、此の世では見たこともない美しい花畑があり、その広さは限りなくあり、行っても行っても行き着けない、そのうちに川が流れていて、なおその向こうにもまた花畑があり、川向こうには亡くなった親や親戚がいて、手を振っている、という筋書きである。
私自身は未だ死に至るほどの病に陥った経験がないのであるが、ある病院で若い医師が、まさに死に瀕している患者に付き添っている家族から「先生、死ぬときは苦しいのでしょうね」と尋ねられて、その医師は「私は死んだことがないのでわかりません」と言った。そのときの家族はきっと医師から「心配ないですよ、お苦しみなどありません」という文言を期待したことと思われるが、その場合、臨死状態ということを仮定して、苦しみもなくて亡くなった親兄弟に再会できることが、死の前にあるいは死後にもあるとすれば、死は苦痛なく恐ろしいと思われないと考える。