歴史的には胎児よりも、妊産婦の命を守ることが優先された。それを達成する目的で行われた外回転術、人工早産術、恥骨結合切断術を記してきた。胎児縮小術もその1つである。名前のように、胎児を破砕縮小して産道から引き出す手術のことで、主に穿頭術と截胎術が行われた。母体を助ける手段ではあったが、常に賛否の議論があった。Aurelius Cornelius Celsus(紀元前25~50)は、遷延横位の場合に行う截胎術を詳細に記している。Soranos d’ Éphèse(98~177)は、截胎術は胎児が死んだ場合に限り行うべきであるが、濫りに截胎術を行うことを戒めていた。
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穿頭術は、Johann Christian Gottfried Jörg(1779~1856)が、胎児の頭に穿孔器具(trepan)を初めて使用したという。彼は1807年に、子宮の頸部切開を行う帝王切開術を発表した。
鉗子分娩について、我々は児の救命が目的であると考えるが、17世紀では胎児が死んだか、死んでいると推定された場合のみ行われた。François Mauriceau(1637~1709)らも鉗子を用いていたが、実は大変非難された。特に、Philippe Peuは、胎児の生死が判断できないので野蛮だとした。Peuは、現在の子癇に相当する妊婦の全身性間代性痙攣を初めて述べた人である。また、産科の歴史では、多くの産科医が産婆の行為を批判するのが常であるが、胎児が死亡して母体を助けるためであろうとも、産婆は残酷な鉤などを使うと高圧的に非難した。
骨盤学を発展させたJean-Louis Baudelocque(1745~1810)の甥August Baudelocque(1800~1864)は、強力な器械を使って胎児の頭を砕く砕頭器を発明した。その器械は長さ56cm、重さ4kgもあったが、1833年、この発明によって医学アカデミーから2000フランの賞金を得たという。1863年にCharles Pajot(1816~1896)は、反復的砕頭術を記載した。また、頭蓋破砕術はJames Young Simpson(1811~1870)により、1860年に完全なものになった。彼のつくった頭蓋破砕器は、Carl Braun(1822~1891)によって、さらに改良された。
頭蓋底破砕法は、18世紀にJohann Jakob Fried(1689~1769)によって記載された。頭蓋底の破砕は、蝶形骨を砕くことによって脳内容の縮小を試みたようである。脳底穿孔器を使って頭蓋底を破砕したのは、Louis Joseph Hubert(1810~1876)が最初である。Étienne Stéphane Tarnier(1828~1897)は、1883年に脳底破砕器を発表したが、Adolphe Pinard(1844~1934)によって賞讃され、Érasme-Joseph Bonnaire(1858~1918)によって実際に使用された。この器械による脳底破砕術が隆盛になったという。
Pinard は截胎術にも改良を加え、Paul Antoine Dubois(1795~1871)は、より大きい鋏器を使うことを提唱した。その他、Chadwick’s signをChadwick以前の1836年に記していたÉtienne Joseph Jacquemin(1796~1872)、凍結させた胎児の解剖を行い研究したAlban Ribemont-Dessaignes(1847~1940)らが種々な器械を考案し、Carl Braunの鈎器は截胎術をより容易な手術とした。Pajotは、太い紐を児頭にかけ鋸断用運動を行う截胎術を案出した。
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截胎術は数世紀の間、頻繁に行われた手術であったが、その使用は減ってきた。それは、分娩時に尾骨が後退することを記したHenri-Victor Varnier(1859~1902)、フランスの放射線学のパイオニアのLéon Bouchacourt(1865~1949)、Jean Marie Joseph Fabre(1864~1921)、Paul Trillat(1879~1970)、産褥熱に免疫輸血療法で成果を上げたEdmond Lévy-Solal(1882~1971)らによって、X線による骨盤計測法が完成し、分娩管理が一段と進歩したことによる。“Pinard Horn”と呼ばれたfetoscopeがPinardにより発明され、胎児の生死が正確に判断できるようになったことなどにより、胎児縮小術の使用は著しく減少した。
ダブリン産科学会の会長だったFleetwood Churchill(1808~1878)は、胎児のために鉗子分娩が行われるべきであると述べた。さらに1849年、ライプツィヒ生まれのHermann Friedrich Kilian(1800~1863)により、胎児心拍数から鉗子分娩の適応基準が提唱されるようになった。
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このように胎児を主とした分娩監視が進歩し、母体の生命の確保は当然のことで、児の安全への取り組みが進んだ。胎児縮小術に使われた器具を見ると惨たらしいイメージしかないが、歴史的には必要な手技であったことは認めなければならない。
【参考】
▶ 大矢全節:産と婦. 1960;27(8):540.
▶ ミレイユ・ラジェ:出産の社会史―まだ病院がなかったころ. 藤本佳子, 他, 訳. 勁草書房, 1994.
▶ 佐藤和雄, 編:産婦人科20世紀の歩み. メジカルビュー社, 1999.
▶ 岩田 誠:ペールラシェーズの医学者たち. 中山書店, 1995.