伊東玄朴は耳の付け根まで赤くして反論した。
「当方にはいささかも非難をうけるべき筋合はござらぬ。上申書は万民の悪疫を救い、生命を守る為のものじゃ」
「なるほど、万民の為とはなんとも御立派な言い種でござる。だがお恍け召さるな」
松本良順は相手を睨みすえた。
「貴殿の冊子『麻疹療法布達』は竹内玄同、林 洞海両法眼が苦心して翻訳された『麻疹治療案』の引き写しではないか。両法眼の名によって布達されるのが本筋でありながら貴殿の子息伊東玄昌の名をもって布達したるはいかなる魂胆であろうか」
玄朴は、うっ、と喉を詰まらせた。
とっさに申し開きが立たず目を白黒させた。すかさず良順はたたみかけた。
「いやしくも学理公表に際してかくのごとき禍事を為すは学事盗用にほかなりませぬ。弁明のいかんによっては馘首どころか禁固も覚悟なされよ」
玄朴の唇がわなわなとふるえだした。
剽窃は明白であり、学事盗用は重大な過失である。
「閣老方はこの件を将軍家に上申され、伊東玄朴は侍医頭を罷免されて自宅謹慎となりました」
そういって良順は一連の事件の報告を終えた。
ききおえた緒方洪庵は事の顚末が明らかになって胸がすっきりした。頭取に断りなく玄朴を弾劾したことは不問に付した。ただし一言つけくわえた。
「徹底して相手を打ちのめすのは痛快かもしれぬが、功績のあった人だけに、一歩譲るゆとりも欲しかったな」
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