小学校のときか中学校のときかは覚えていないが、音楽の教科書でクラシックの楽聖たちの肖像画を初めて見て驚いた。
バッハもヘンデルもハイドンもみな女性のように髪の毛が長いのである。しかも人工的なカールが重なっている。モーツァルトを主人公としたアカデミー賞映画『アマデウス』(1985年日本公開)は、18世紀末のウィーンが舞台だが、登場人物のほとんどがロングヘアだ。晴れ舞台を前にしたモーツァルトが、カツラ(wig)を帽子のようにあれこれと選ぶシーンがあり、男性のファッションであったことがうかがわれる。
西洋の王様の肖像画を見ていると、1600年代の前半で髪型が変わってくる。
イギリスでは、1603年にエリザベス女王の後を受けてスコットランドからやってきたジェームズ1世は自然な髪型をしており、息子のチャールズ1世も少年時代は短髪だ。それが大人になると長くなる。
フランスでは、1610年まで王位にあったアンリ4世は明らかにナチュラル・ヘアだ。息子のルイ13世も、同時代のチャールズ1世と同じく、青年期までは短髪だが、やがて長髪になる。禿頭を隠していたらしい。
問題はその息子のルイ14世(在位1643〜1715年)だ。それ以前の王と違って、単に長髪だけではなく、大きく盛り上がるような、ふさふさとしたヘアスタイルとなっている。明らかにカツラと見てとれる。
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1658年7月、20歳のルイ14世は、フランス北東部のダンケルク周辺での“砂丘の戦い”(Bataille des Dunes)に従軍していた。青年といえども、王様が銃を撃ったり、剣を振るうわけではないが、前線近くで督戦しなければいけない。敵はフランドル地方(現在のオランダ・ベルギー)を領するスペインとイギリス王党派の連合軍、味方は清教徒革命後のイギリス共和国軍である。
皮肉なことに、イギリスの清教徒革命では、国王のチャールズ1世を断頭台で処刑してしまっている。ルイ14世の大叔母が皇后となっていた王様だ。この時代も、国家間の結びつきと対立は、イデオロギーや王様たちの個人的な事情より優先されていた。
そのイギリス軍の兵士でごったがえす砦を訪れたとき、ルイ14世は悪寒があり、発熱して髪の毛が少しばかり抜けてしまった。さらには人事不省となり、命が危ぶまれる事態になった。侍医と廷臣の間で治療法を巡って口論が起こり、結局、宰相のマザラン枢機卿がほかに手はなしと断を下して、劇薬のアンチモニーが投与された。この一六勝負は当たったようだ。王の容態は回復し、戦いにも勝った。
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