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佐藤泰然(10)[連載小説「群星光芒」232]

No.4820 (2016年09月10日発行) P.66

篠田達明

登録日: 2016-09-16

最終更新日: 2016-10-19

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  • 「いずれ親父殿は江戸へ戻ることにして、事態が鎮まるまで手前とともに下総国佐倉(千葉県佐倉市)で過ごしてくだされ」

    だが佐藤藤佐は泰然を横目で睨みつけ、

    「わしは近々矢部家の縁者とともに亡き矢部駿河守殿の御慰霊を納める祠堂を建立することになっておる。お前と都落ちなどしているひまはない」

    そういって、どうしても佐倉移住に同意しなかった。天保14(1843)年6月、林 洞海が4年ぶりに遊学先の長崎から江戸へ帰ってきた。約束通り洞海は泰然の長女ツルを娶って薬研堀の医院を引き継いだ。2人の仮祝言が済むと藤佐は泰然に向かって、「わしたち夫婦は喜惣治(然僕)の厄介になる」と言い残し、下谷六軒町で蘭方医院を営む次男の家へ引っ越してしまった。

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