私は福島で生まれ育ち、福島県立医大附属病院に就職した、福島を愛する住民の一人である。福島には「イカにんじん」という、細切りのスルメとにんじんを、しょうゆ、酒、砂糖、みりんなどで漬け込んだ、私の大好きな冬の名物がある。また、福島の銘菓「ままどおる」を電子レンジで少し温めて、冷たい牛乳と一緒に食べるのも大好きである。
福島の食文化をこよなく愛する私が、今回は診療放射線技師の視点から、福島における放射線に関する課題をレポートしたい。
福島県立医大附属病院は県内唯一の2次被ばく医療機関である。2001年に「除染棟」として落成した被ばく医療施設を有し、放射能汚染傷病者が発生した場合には放射性物質の除染を行いながら診療を実施することになっていた。しかし、実際の除染棟は訓練でしか使用されることが無く、必要最低限の機器しか置いていない無人の建物であった。
2011年3月11日の東日本大震災の発生後、12日午前にテレビ報道で福島第一原発の危機的状況を知った。しかし、当院は約60km離れているため影響はないだろうと思い、私は地震の負傷者のレントゲン撮影をしていた。ところが、同日22時頃、第一原発周辺の住民が放射性物質による体表面汚染を測定してほしいと来院した。私は「汚染なんてないだろう」と思いながらGMサーベイメーターで測定したところ、スクリーニングレベルを超える値が計測された。原発事故による環境への放射性物質の拡散が身近になったと感じた瞬間であった。
13日には、第一原発から汚染傷病者が搬送されることが予想されたため、除染棟内初療室の養生(ビニールシート等で床や資機材を覆う作業)、放射線計測機器や防護服の準備などを放射線部の技師が総出で行った(図1・2)。
そして14日、3号機の水素爆発により頸部を傷めた負傷者が到着し、私も体表面汚染測定や除染作業に参加した。訓練とは異なり実際の緊急被ばく医療は非常に手際が悪く、傷病者に苦労をかけたと今にして思う。15日にも3名の傷病者が原発から搬送されてきた。16日からは長崎大、日本原子力研究開発機構と自衛隊が合流し、汚染傷病者の受け入れ態勢が手厚くなった。彼らのサポートがなかったら、緊急被ばく医療はうまく機能しなかったに違いない。
緊急被ばく医療を経験して感じるのは、除染棟落成から10年間、当院の緊急被ばく医療は、研修会はあったものの、今回の原発事故に対しては人材の育成ができていなかったということだ。幸い、放射線測定機器(GMサーベイメーターやNaI〔Tl〕シンチレーションカウンタ、ホールボディカウンタ〔WBC〕など)は診療放射線技師が毎月動作点検を実施しており、事故時にも問題なく使用できた。しかし施設や機器があっても、人材がいなければ緊急被ばく医療の実践が困難であることを体感した。医師のみならず、看護師・診療放射線技師などの緊急被ばく医療を担う人材の育成は、喫緊の課題である。
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