インターネットがなかった時代のこと。「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を1993年に受賞した「ネパールの赤ひげ」岩村昇医師がフィリピンで人材育成にあたっていた。
紹介を頂いた私は1980年代半ばから90年代初頭、日米の激戦地だったレイテ島を数回訪問した。掲げた図は私が88年、京都大学公衆衛生学教室に報告したフィリピン大学医学部レイテ分校の特徴あるカリキュラムである。
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