2023年5月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が5類感染症となって、人々がマスクを外し「インフルエンザに罹患した程度」という感覚で「コロナにかかった」という状況になった今からみれば、2021年頃の「Go To トラベル」に参加した多くの人々と、それを避けた医療者のパラレルワールドは“緩い世界”のほうが正解だったことになる。
本連載も残すところ2回となったので、2020年初頭からの3年余りのコロナ禍で学んだことを記したい。まずは、「冷静に議論できる環境をつくる」である。
医療安全の検証では、「ヒトは間違える存在である」「責任追及ではなく原因追究を」「今の常識で過去を判断しない(Hindsight Bias)」といった基本的な考え方がある。ところが、不安が先行したCOVID-19においては、このような医療安全の考え方が通用しない場面が多かった。
たとえば、パンデミック当初、PCR検査が追いつかなかったことも問題だが、(事前確率が低い場合)検査をしても偽陰性が多くなり、社会が混乱する─という反対論も目立った。現場にいる人間としては、臨床経過を見つつ再検査をすればよいことなのだが……と思った。しかし、反対論者は「ベイズの定理を理解しない素人は困る」くらいの勢いで反論を許さない。2020年6月、思いあまってメディアでPCR検査処理数を1日10万件に増やすように訴えた。検査数が多かった諸外国でも偽陰性の問題は顕在化していなかったと思う。
予防や治療の優先順位づけも同様である。死亡率の高い高齢者や感染の危険性がある医療者を優先する理屈に批判はなかったが、それ以外の優先順位についての冷静な議論ができたとは思えない。ワクチンが短期間に開発され実用化されたのはよかったが、あまったワクチンを打った町長が謝罪会見を開いた。隠れて打ったのは悪いが、行政や立法の責任にある立場を優先しないのはリスク管理上、疑問に感じた。菅義偉首相(当時)は、国会でいつワクチンを接種するかと問われ、高齢者枠の順番が来たときと答弁していた。国を守るため自分が率先して打つと答弁していたらどうなっていただろうか? 他方、米国では酸素療法が必要となったトランプ大統領(当時)にいち早く抗体薬が使用され、バイデン大統領は就任間もない頃にワクチンを接種したが、大きな批判はなかったと思う。
では、本学内では冷静な議論ができたのだろうか? 本院は医療安全に力を入れてきた背景があり、職員に先述した安全検証の考え方が共有されていたので大丈夫と思っていた。
しかし、コロナ対応が始まってみると、「誰もどうしていいかわからない」状態となり、現場の議論は不安で険悪な雰囲気になった。そこで「試行錯誤を大切にしよう」と呼びかけたが、要はコロナそのものに対する不安が大きく、「試行」は仕方がないが「錯誤」なんてとんでもない! という空気が漂った。
となると、完璧を期すしかなく初動は遅くなる。そこで、「錯誤については責任を問わず原因を追究する」方向に舵を切るため、学長として学生から研究者、医療者にまで「責めるより応援しよう」のメッセージを繰り返し発信することとなった。これが功を奏して冷静に議論できる環境が整ったように思う。
田中雄二郎(東京医科歯科大学学長)[責任追及から応援へ]