ボルドーの市長も務めていたモンテーニュ(1533~92)が16世紀末に発表した『エセー』(原二郎訳、岩波書店刊)では、モンテーニュ自身の体験に基づいて幼少期の養育環境の大切さが力説されるとともに、児童虐待に対する先駆的な批判も展開されている。
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『エセー』の第2巻第8章「父の子供に対する愛情について」には、「私は、幼い精神を名誉と自由に鍛えようとする教育においては、あらゆる暴力を非難いたします」という文章がある。「厳格と強制には何かしら奴隷的なものがあり」「理性と知恵と巧妙によってなしえないものは、暴力によってはけっしてなしえない」と考えるモンテーニュは、自分自身、「幼年時代を通じて、鞭を受けたことが二度しかなく、それもほんとにそっとだった」という。
そのためモンテーニュは、「自分の子供たちにも同じことをする義務があった」として、夭折を免れたただ一人の娘エレオノールに対して、「その躾にも、子供らしい過失をこらしめるにも、言葉以外のもの、それもごくやさしい言葉以外のものを用いたことがありません」と語るのである。
ここには、自分が非暴力的に育てられたから自分の子供も非暴力的に育てようという言わば正の世代間連鎖が働いているが、そんなモンテーニュからすれば、街で見かける児童虐待には目に余るものがあったようである。
『エセー』第2巻第31章「怒りについて」では、「私は、通りを歩きながら、怒りに逆上した父親や母親に皮をすりむかれたり、なぐられたり、傷つけられたりしている子供たちを見ると、彼らの仇をとって、この親たちを笑いものにしてやりたいと思ったことが何度もある」と、児童虐待に対する憤懣やる方ない思いを述べて、そうした状況に対する当時の法律の不備を、次のように非難する。「張り裂けるような金切り声で、ときには、やっと乳離れしたばかりの子供までどやしつける。しかも、打たれた子供が片輪になったり、気絶したりするというのに、われわれの法律は全然平気でいる。まるで子供たちの脱臼し、びっこになった手足は国家のものではないみたいである」。
そして、かかる現状を指弾するモンテーニュは、「どうして、父親や教師にも怒りに駆られて子供を鞭打つことを禁じないのだろうか」「国家のすべては子供の教育と養育の如何にかかっていることを知らない者があるだろうか。にもかかわらず、人々はこれを実に無分別にも、親の気ままに任せている。親がどんなに愚かで悪者でも一向にお構いなしである」と、今日のわが国にも通じるような憂いを述べている。
モンテーニュは今から400年以上も前に─わが国で言えば信長や秀吉の時代─児童虐待や子供に向けられる暴力という問題の重要性を認識していた,時代の先覚者なのである。