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【識者の眼】「『忘れられた日本人』と『リスクコミュニケーション』」関なおみ

No.5205 (2024年01月27日発行) P.61

関なおみ (東京都特別区保健所感染症対策課長、医師)

登録日: 2024-01-15

最終更新日: 2024-01-15

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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の5類移行後、初の冬休みがやってきた。

街には人があふれ、忘年会や新年会に沸いている。

駅のホームや横断歩道では常に大きなキャリーバッグを引いた旅行者を見かける。

老若男女、マスクをしている人もいれば、していない人もいる。

2023年3月にCOVID-19の陽性者把握を全数から定点化へと切り替える方向性が定まり、マスクを外すか外さないかを「個人の判断にゆだねる」と決まった後も、一定期間、様々な議論が紛糾した。

マスクを外す人が一部にとどまる中で、誰もマスクを外さないのは、外さずにいる人が多いからで、外すようにもっと呼びかけるべきだ、といった議論すらあった。

このような、政府の施策が発表されてから、一般社会に受け入れられていくまでの経過を見ていると、昔、社会学の勉強会で読んだ、宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984年)を思い出す。

本書冒頭の「対馬にて」という章にある「寄りあい」という話では、帳箱の中に保管されている古文書を、著者に貸すか貸さないかを村人たちが話し合う、という場面がある。話し合いには地域ごとの意見を持ち寄り、各自が知っている限りの関係ある事例をあげながら、結論が出るまで延々と続く。その過程においては、「見ればこの人は悪い人でもなさそうだ」とか、「あんたがそういわれるなら、もう誰も異存はなかろう」といった卑近な言葉も出てくる。

このように、以前は村里のような狭い社会の中で物事を決定する場合、様々な立場の人が集まり、時間をかけて話し合うのが慣習となっていた。論理ずくめでは収拾がつかないことについても、反対意見、賛成意見、どちらに対してもそれぞれ冷却期間をおいて、みんなが納得のいくまで話し合ったので、結論が出ると、それはキチンと守ったという。

すべての人が体験や見聞を語り、発言する機会を持つということは、人口が爆発的に増え、外に開かれた社会となった現在においては難しい。今や、そもそも話し合い自体に何日もの時間をかけることができないし、この人が責任を持って言うのだから誰もが納得する、という人物もなかなかいない。

そういうわけで、今は話し合いというよりも、マスコミ合戦やSNS炎上の中、それぞれが各々の方法で情報収集し、周囲を見回し、マスクをしている人のほうが多い、とか、少ない、とかいった、様子見をしながら、自分の腑に落ちる方法で結論を出したのだと思われる。

一方で、宮本常一が調査をしたのは1950〜51(昭和25〜6)年のことで、それほど昔のことではない(と思うのは筆者だけか??)。科学的知見に基づいているとか、リーダーの決定だとか言っても、なかなか従わず、気分や感情に左右されながら、だらだらと行動変容までに時間をかけずにはいられないのは、これまでの日本人の習性だからという気もする。

リスクコミュニケーションは技術だけではなかなか解決しないところが難しい。

関なおみ(東京都特別区保健所感染症対策課長、医師)[COVID-19][咳エチケット][マスク着用]

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