かねてより一度訪ねたいと思っていたイタリアの古都ヴェローナ(Verona)に旅立った。近代解剖学を創始したヴェザリウス(Andreas Vesalius,1514〜64)を輩出したパドヴァ(Padova)大学が近いということが、ヴェローナ行きを後押しした最大の要因であったかもしれない。
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ヴェローナはアリーナでの「オペラ」とロメオと「ジュリエットの町」として有名であるが、医学史的には、梅毒の「伝染(コンタギオン)説」を唱え(コンタギオンないし伝染説は、ミアズマないし瘴気説に対して提唱されたものであり、両者間の論争は19世紀末頃まで続いた)、その梅毒を「Syphilis sive morbus gallicus(シフィリスないしフランス病)」と命名したジローラモ・フラカストロ(Girolamo Fracastro,1478~1553)の出身地である。コロンブスによって新大陸から持ち込まれて、フランス軍のイタリア遠征をきっかけに梅毒がヨーロッパ中に広がっていったことから、イタリアでは「フランス病」と言ってフランス人を揶揄した呼び方をしたのであったが、フランスはフランスで、この梅毒を「ナポリ病」と呼んで対抗した。
そこで、上述したような知識を頭に入れて、フラカストロの石像がある、旧市街の一角を占めるPiazza del Signori(シニョーリ広場:「紳士の広場」という意味)を訪ねた。この広場を取り巻く建物群は13~15世紀にかけて建てられたもので、現在でも県庁舎や市庁舎として利用されている。
さて実際に訪れてみると、広場の中央には『神曲』で知られるダンテ像が据えられており、お目当てのフラカストロ像は周囲を取り囲んでいる建物をつなぐアーチの上に設置されていた(写真)。
話は逸れるが、出身地のフィレンツェを追放された皇帝派のダンテ(Dante Alighieri,1265~1321)は、ここヴェローナの有力貴族であったスカラ家の庇護のもとで亡命生活を送り、『神曲』のうちの「天国編」を書き上げた。そのダンテ像の後方の高所に小さな球体(ボール)を手にしたフラカストロ像が据えられている。巷間、「この下を最初に潜る正直者の頭上に、フラカストロが手にしている球体が落ちてくる」と言い伝えられてきているが、設置以来そういう人は未だ現れていないらしい。
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