ある日のこと、ラジオを聴いていると、女性のパーソナリティが何かの話題の中でこう語ったのです。
「尻尾がない動物は人間だけ」
おやおや、と医者は首をひねります。
尻尾のない動物と言えばカエルもそうだし、哺乳類に限って言えばゴリラやチンパンジーにも尻尾がない。人間も一皮むけば尻尾の名残の尾骨があるし、時には尻尾が生えた赤ん坊が誕生することもあるそうですよ。人間は似て非なるものを排除する傾向がありますから、尻尾が生えていると何かの化身だと誤解されるかもしれないし、アニメやSFの世界では獣のようなとがった耳は、人間とそうでない者(異星人や怪物)を区別するマーカーになっているようですね。そのため、現代では乳児のうちに切除してしまうでしょうから、尻尾のある人は意外に多いのかもしれません。
ともあれ、興味を引いたのは、誰しも「人間はナニナニ」と、ほかと比べたがる性癖があるらしいということです。その気になって眺めてみると、あるある、ナニナニについて語った文章が至るところに散見されるではありませんか。
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『殺しを命じるのは人だけ』。衝撃的な見出しが載っていたのは、2015年7月12日付の日本経済新聞朝刊です。「チンパンジーと博士の知の探検」という連載の中で、京都大学霊長類研究所教授の松沢哲郎先生がアウシュビッツ強制収容所の例を引いて、チンパンジーと人との違いを解説していました。
要約すると、「収容された人を監視するカポ(看守)も、同じ囚人だった。ドイツ人は運営にかかわるほんの一握り。囚人が囚人を監視し、殺し、遺体の処理をした。人間社会の場合、虐殺の背後には大抵自ら手を染めない人間がいる。殺害をそそのかす。殺さないならお前を殺すぞと脅す。人間は人間を道具として操ることができる。人が持つ怒りや憎しみが向けられる先を巧みに操作する。チンパンジーは殺しを命じない。自ら殺す。殺しを命じるのは人間だけだ」
教授はそう結論づけた後で、「どんな状況にあっても想像によって希望を持ち続けることができるのもまた人間だけである」と述べています。
この文章においてわたしが注目したのは、人が人をコントロールするという事実と、希望の持つ意味です。
2013年1月24日付「Nature」誌に掲載されたDan Jones氏の論文『人間は、儀式をするサルである』はどうでしょう。
「人間集団には、祈り、戦い、踊り、詠唱などの儀式がある。そして、その儀式の違いが、過激な集団と平穏な集団の違いを生んでいるらしい。儀式はまた、文明の誕生とも深く関係する」
集団的行事としての儀式では、仲間とそうでない者を区別し、時には排他、差別につながることも考えられます。複雑な儀式になるほどリーダーが必要になり、カリスマ性のある人物ほど崇められたことでしょう。オウム真理教にしても、なぜ麻原彰晃に心酔する信者があれほど多かったのか、部外者には今一つ理解できないのですが、マインドコントロールには何らかの儀式が関与していたのではないかと思います。
〔余談ですが、わたしは幼少時、麻原の実家近くに住んでいたことがあります。彼のいとことも知り合いです。いとこさんに言わせると、麻原(親戚間での呼び名はチズちゃん)はものすごく酒が強かったのだが、親戚の人たちは彼よりももっと酒に酔わない体質であるため、誰一人彼の信者になった人はいなかったのだそうです。オウム真理教が酒や薬物をマインドコントロールに使用したか否かは不明ですが、一般的に酒は祭りなどの儀式には重要な役割を担っているものと考えられます。〕
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