▼日本医師会長を4期8年務めた坪井栄孝氏が今月9日、永眠した。坪井氏が日医会長となった1996年。首相は「厚生族のドン」で政策通の橋本龍太郎、厚相には菅直人、続いて小泉純一郎が抜擢され、厚生省では豪腕で知られる岡光序治が事務次官に就任。まさに医界、政界、官界に役者が揃った感があった。
▼当時の岡光次官は就任早々国民皆保険見直しを示唆、さらに審議会不要論をぶち上げ、物議を醸した。この時、本誌の取材に対し坪井会長が見せた、好敵手の出現を喜ぶような楽しそうな表情が忘れられない。岡光氏が「(厚生省も)政策提言ができるシンクタンクをつくるしかない」と発言したことを受け、坪井氏は「日医にもその用意はある」と述べ、その言葉通り、翌年4月に日医総研を立ち上げた。
▼汚職事件で岡光次官が失脚するというまさかの事態が起きたため、厚生省のシンクタンク構想は実現しなかったが、坪井会長も肩すかしを食らった気分だったかもしれない。それから12年後、ある特集の取材で訪ねた時、病気療養中の坪井元日医会長は「岡光さんなんかも悪い面ばかり批判されているけれども、医療に対してはまじめに考えていた」と、強い志を持っていた元官僚への評価を口にした。
▼坪井氏は、医療費抑制に走る官僚だけでなく、診療報酬上の辻褄合わせで医療を考える「レセプト依存」の医師も含め、医療に関わりながら患者・国民の利益を第一としない者すべてを批判した。メディアにも「士魂」ある報道を求め、「最近の医事新報は○○みたいになってないか」と、我々も商業主義への傾斜を何度かたしなめられた。時に発言内容が高邁すぎて、聴く者を戸惑わせることも多かった坪井氏だが、プロとしてのあるべき姿勢を厳しく問うその精神は、受け継いでいかなければならないと思う。