Oさんに初めて会ったのは、2012年の春だったと思う。
筆者は2011年3月以降、方法や立場を変えながら、定期的に宮城県気仙沼市を訪れて支援活動を行ってきた。現在は気仙沼市立本吉病院の非常勤医師として、仮設住宅や新しくできた復興住宅でも訪問診療や健康相談活動を続けている。
Oさんは、県外にいるとき交通事故で重篤な脳損傷を受けて現地の急性期病院に入院、意識障害が遷延して気仙沼市内の病院に転院。その後、意識障害からは何とか回復して、やがて経口摂取も可能になったが、長期間寝たきり状態となっていた。そして、東日本大震災で被災、避難所は山の中腹の体育館だった。その後、川のほとりに建てられた仮設住宅に住み、市内の医師の訪問診療を受けていた。介護保険による規定の訪問看護を受けていたが、避難所でのつながりから、たまたま気仙沼で支援活動をしていたボランティアナース「キャンナス」の看護師の訪問を受けたり、face to face(FTF)の支援によりリハ専門医や理学療法士の訪問による評価と訓練を受け、その指示に基づいた画期的な手すりが設置され、なんと室内歩行の練習が可能な状態になった。
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