加藤道夫の処女戯曲。5幕9場は1946年5~10月の「三田文学」に連載発表された。1948年に第1回水上瀧太郎賞を受賞(加藤道夫 著、青土社、2000年刊)
『なよたけ』に初めて接したのはこの詩劇を読んだときではなく、高校2年(1955年)の秋、芥川比呂志演出の文学座公演による舞台だった。とても純粋で清々しい感動を覚え、『竹取物語』を数カ月前に読んでいたこともあり、加藤道夫の脚本を買った。その冒頭にはこうあった。
─『竹取物語』はこうして生れた。世の中のどんなに偉い学者達が、どんなに精密な考証を楯にこの説を一笑に付そうとしても、作者はただもう執拗に主張し続けるだけなのです。「いえ、竹取物語はこうして生れたのです。そしてその作者は石ノ上文麻呂と云う人です。……」
加藤道夫が『なよたけ』を書いたのは1943~44年のことだった。この作品を仕上げた後、ニューギニアに派遣され、マラリアと飢餓の中、命からがら帰還した。1946年、「三田文学」に連載し、1951年、尾上菊五郎劇団による『なよたけ抄』として、その一部が上演された。しかし、道夫は1953年に35歳の若さで自死、その2年後に全編が上演された。
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