神武天皇は東征の途上、苦戦を強いられていた。この時、天皇の弓の先端に飛来した金色の鵄が眩い光を放ち、敵軍の戦意を消失させたという。勝利した神武天皇が橿原の地で即位したのがかつての紀元節、現在の建国記念の日である。「金の鵄を知ってますか?今の若い方はご存知ないですよね」は、昨年11月に88歳で現世に別れを告げた父、積治の決まり文句でもあった。
父は大和高田に生まれ、「金の鵄」が校章であった旧制畝傍中学を経て陸軍経理学校へ進学、卒業する直前に終戦を迎え、結核を患いながらも大阪医大を無事に卒業、阪大の研究室で学位を取得後、母と出会い橿原神宮(金の鵄がお守り)で挙式。昭和34年に尼崎の下町で開業してからは54年間、倒れる前日の晩まで現役で働き通した。「町医者」と呼ばれることが誇りで、患者と一緒に政治、社会、家庭問題など1時間近く話し込むことも稀ではなく、時には叱り飛ばすこともあった父。亡くなった後も、その思い出を私の外来で語る患者が後を絶たない。
温厚篤実で勉強熱心、日本医事新報を愛読し、80歳を超えても最先端の知識を自分なりに咀嚼し「おい、こんなこと知っているか」と私に説明してみせることも日常茶飯事であった。医師会の勉強会や地区会、X線や心電図の読影会は40年以上皆勤、大瓶3本のビールでの晩酌を楽しみに、手のかかる息子2人と病気の母の面倒をみながら、父は真っ直ぐに激動の時代を生き抜いてきた。
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