「ドイツ人教師の来朝予定をお尋ねしたい」
相良知安はそういって澤 宣嘉外務卿に問い合わせた。すると意外な返事があった。
「目下ドイツとフランスの間はきわめて険悪で一触即発の状況にある。煽りを食ってドイツ人医師も足止めされている」
一方、血気に逸る医書生たちは、
「一日も早くドイツ医学を学びたい」
と学校側に強く開講を迫った。
明治3(1870)年7月19日、ドイツはついにフランスと戦端を開いた。
ドイツ人教師が来日する状況はますます遠のき、医書生の不満は募るばかりである。大学少丞の知安は責任者として窮地に立たされた。
そのとき岩佐 純が「横浜にボードイン先生がきている」と旧師の動向を知らせてきた。
かつてボードインが働いていた大福寺の仮病院は大阪の元代官所跡に移転して大阪医学校・病院と名を改めた。ボードインもそこへ移ったが明治3年3月に任期が満了したのでしばらく大阪鎮台病院の嘱託医を務めた。このほどオランダへ帰国することになり横浜で便船を待っていたのである。
「ボードイン先生に大学東校の臨時教師をお願いしようではないか」
知安がそういうと岩佐は困惑した顔で、
「先生が熱望した海軍医学校の旗揚げを潰しておいて、今度はこちらの都合で教師を頼むのはあまりに虫がよすぎる」
だが、知安はすぐに立ち上がった。
「目下の急務は医書生への講義だ。ひたすら先生にお願いするほかない」
2人は横浜港に急行して帰国船を待つボードインをつかまえた。
「先生、お願いです、我々を助けて下さい」
知安の講義依頼にボードインは頭をふるばかりだったが、拝むようにして手を合わせる2人に根負けして、
「ほかならぬお前たちのことだ。短期間ならなんとかしよう」
そういってにわか講師を引き受けた。
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