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黒田博樹流の一流チームのつくり方[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.102

酒向正春 (大泉学園複合施設(ねりま健育会病院病院長・ライフサポートねりま管理者))

登録日: 2018-01-07

最終更新日: 2017-12-20

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2015年、黒田博樹はヤンキースから提示された20億円の年俸(複数年契約)を捨てて、広島東洋カープに復帰した。年齢は40歳であり、野球界世界最高峰の大リーグで一流と評価されたままの日本プロ野球界復帰は、世界を驚かせた。この瞬間が、まさにカープが一流のチームとなるかどうかの岐路に立たされた瞬間であった。すなわち、一流のチームはその道の一流の技術と品格を持つ。それは、1人のスター選手だけではなく、チームメートのすべてが一流であることを望み、そのための努力を惜しまず、一流のチームの一員としてのプライドを持つことができるか、にある。

黒田博樹が在籍した1997〜2011年の15年間のカープの成績は、セ・リーグの3〜6位であり、ほとんどが5位であった。球団には経済力もなく、優勝が望めないチームであった。最後に優勝したのが1991年。その後は優勝方法を忘れ、思い出すことができない。彼自身も優勝の味を知らない。そこで、彼は2012年、ヤンキースへと移籍した。その3年間で、ワールドシリーズ優勝はないが、大リーグ屈指の一流投手に成長した。引退表明までの彼の成績は日米通算203勝184敗であり、太く重く長く投げ抜いた。

2015年、黒田博樹が復帰したカープの2年間の成績は、4、1位。ついに2016年にセ・リーグで彼は初優勝を勝ち取った。彼が引退した2017年も、カープは他チームを圧倒する力で優勝した。彼は野球選手として一流とは何か、そして、一流のチームとは何であるか、をチームに教えた。それは野球にあきらめを感じていた選手たちをも覚醒させた。

医療でも同じ。超高齢社会では病気や障害は治らない。発症後は病気や障害と上手につきあい、人間力を回復(人間回復)させて、社会参加や社会貢献を継続した暮らしを支えることが重要となる。それはスター選手だけでは支えきれない。急性期、回復期や慢性期でもチーム医療と連携が必須である。一流のチーム医療を実践するには、チームメートのすべてが一流であることを望み、そのための努力を惜しまず、一流チームの一員としてのプライドを持つことができるか、にある。

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