あまり成績の良くない医学生であった私は、卒業時に1つ誓いを立てた。私の恩師である栗原照幸教授から影響を受けてのことであったが、どんなにきつくても毎日5ページは英語で教科書を読むことにしたのである。以来、ゴールドマンの心電図から始まり(実はこれは英語に慣れないため、恥ずかしながら訳本と英語版を比べながら読んだのだが)、ハリソンの11版、15版、セシルの20版、23版、ロビンスの病理学、ガイトンの生理学、アダムスの神経内科学等々、気づいたら本当に多くの英語の教科書を読みこなしてきた。
毎日5ページは結構きつく、英語力がつくまでは1ページしか読めない日も多々あったが、それでもしつこく読み続けた成果であろうと思っている。学習成果が出るよりも、内容を忘れることのほうが多いのだが。それでも、医学の進歩の著しさを肌で感じることができた実感もある。
ハリソンの11版にはAIDSの記載がなかった。また、この当時はMRIもなかった。ある時はCMLの治療がイマチニブに、私の実感としては本当に急に変わったことにもびっくりした。教科書がこんなにも早く変わるとは信じられず、ハリソンが正しいのかセシルが正しいのかと、当時は訝ったものだった。ジェネラリストの端くれとしては深い専門的知識を学ぶ方向性ではなかったので、やはり教科書がありがたかった。
最近はEBMが重要視されている。UpTo DateRもとても便利な道具で、佐賀大学総合診療部の教室員たちもよく使っている。各種ガイドラインも整備され、それに従って治療しないと医療訴訟上は危ない状況にすらなっている。この風潮には違和感を感じずにはいられない。私の内科医としての実力などしれたものであるが、それでも教科書を読み込んで得た病態への理解は何物にも変え難いものである。
短期間で変わるガイドラインのみを頼りにするのではなく、基礎医学の裏づけもある程度持ちながら、病態を通して疾患をきちんと学ぶことが若い医師にはとても大切で、それには教科書が便利であると思うのである。