銀座松坂屋跡地にできたGINZA SIXの地下3階に観世能楽堂があります。昨年8月26日に第13回下平克宏 演能の会が催され、「船弁慶」を観ることができました。
能楽師・下平克宏先生は、私の地元群馬県高崎市のご出身です。東京と群馬を中心に演能の会などで精力的に活動しておられますが、高崎商工会議所会頭・原 浩一郎氏が、地元で下平先生を応援する早蕨会を始められ、お陰さまでご縁を頂戴しました。
平成22年から月に2回、高崎市の教場に伺って、謡、仕舞の手ほどきを頂きましたが、日本医師会にきてからは、お稽古はかないません。
観世能楽堂は渋谷区松濤にありました。松濤は昭和47年の開設と伺っており、能舞台はそのまま銀座に移されました。
the能.comの演目事典から「船弁慶」のあらすじを引用させて頂くと、「平家追討に功績をあげた源 義経でしたが、頼朝に疑惑を持たれ、鎌倉方から追われる身となります。義経は、弁慶や忠実な従者とともに西国へ逃れようと、摂津の国大物の浦へ到着します。義経の愛妾、静も一行に伴って同道していましたが、女の身で困難な道のりをこれ以上進むことは難しく、弁慶の進言もあって、都に戻ることになりました。別れの宴の席で、静は舞を舞い、義経の未来を祈り、再会を願いながら、涙にくれて義経を見送ります。静との別れを惜しみ、出発をためらう義経に、弁慶は強引に船出を命じます。すると、船が海上に出るや否や、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。中でも総大将であった平 知盛の怨霊は、是が非でも義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。弁慶は、数珠をもみ、必死に五大尊明王に祈禱します。その祈りの力によって、明け方に怨霊は調伏されて彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました」とあります。
下平先生は、前半の静と後半の知盛でシテ(主役)を演じられましたが、優雅な白拍子の抑制された動きの中に、義経への限りない愛情がにじみ、怨霊の激しい動きとの対比に深い感銘を受けました。弁慶の存在感、船頭の櫓の扱いも心に残りました。
これからも能と出会える機会をなるべくつくってまいりたいと願っております。