(東京都 F)
ここでは慢性大量飲酒に伴う栄養障害や神経障害によって生じた歩行障害ではなく,単回飲酒でみられる酩酊反応について考察します。いわゆる千鳥足はethanol-induced ataxiaなどと呼ばれています。
ラットの小脳へ急性エタノール曝露を行った電気生理学的研究では,GABA(γ-aminobutyric acid)放出増加によるプルキンエ細胞の興奮性の低下が認められています1)。エタノール誘発小脳失調の分子生物学的メカニズムは,苔状線維─顆粒細胞─ゴルジ細胞シナプスでの一酸化窒素合成阻害と,顆粒細胞─平行線維─プルキンエ細胞シナプスでのアデノシン蓄積を介した機序が研究されています2)。
胎児性アルコール・スペクトラム症候群(fetal alcohol spectrum disorders:FASD)における小脳体積の低下はプルキンエ細胞と顆粒細胞の減少だけでなく樹状突起や軸索の形成とも関係があると報告されています3)。上述の電気生理学的研究でもエタノール曝露によってプルキンエ細胞だけではなく苔状線維などの変調が認められています。アルコールによる酩酊で歩行が障害されるメカニズムは広範な神経ネットワーク活動の変化によるものと想定されます。
resting state functional MRIを用いた研究では,上前頭回,小脳,海馬回,基底核および内包を含む脳領域の機能的結合がアルコールによって影響を受けやすいと報告しています4)。PETを用いた報告によると,アルコール摂取による脳の各領域の糖代謝の変化率は視床−7%,線条体-8%に対して小脳と後頭葉がともに-16%で最も低下していました5)。
20~27歳の健常男性10人にアルコールを摂取させて前庭機能の変化を調べた浅井らの報告では,開眼・閉眼や起立台静止・動揺などの条件によって視覚,体性感覚,前庭覚の入力を組み合わせて直立姿勢維持を比較しています6)。その結果,すべての入力が正常の場合(開眼,起立台静止)に比べて,前庭からの入力が唯一正確となる条件(閉眼,起立台傾斜動揺)と,視覚および前庭覚からの入力条件(開眼,起立台傾斜動揺)の場合に有意な安定性低下がみられました(表1)。さらにアルコールによる筋緊張の変化など出力系の要因を考慮した解析でも同様の結果でした。これは単回飲酒による直立姿勢維持の評価ですが,実際のいわゆる千鳥足は意識レベルの変化,眠気,眼球運動への影響,慢性的な飲酒による脳萎縮や筋力低下の程度,姿勢維持とは異なる歩行運動であるため,より複雑であると考えられます。
第一趾が退化したチドリの骨格構造での歩行とヒトの酩酊歩行が類似していることを見出したわが国の先人たちの観察眼も興味深いところで,末梢の運動器系における急性アルコール曝露の影響について,新たな知見が得られることも望まれます。
【文献】
1) Mameli M, et al:J Pharmacol Exp Ther. 2008; 327(3):910-7.
2) Dar MS:Cerebellum. 2015;14(4):447-65.
3) Nirgudkar P, et al:Neurosci Lett. 2016;632:86-91.
4) Zheng H, et al:Biomed Res Int. 2015;2015: 947529.
5) Volkow ND, et al:Neuroimage. 2013;64:277-83.
6) 浅井正嗣, 他:Equilibrium Res. 1994;53(Suppl 10): 71-5.
【回答者】
遠山朋海 国立病院機構久里浜医療センター