(兵庫県 S)
ホウ素を有した抗体薬は非常に抗原特異性が高く,分子標的薬として注目されています。たとえば,上皮細胞増殖因子受容体(epidermal growth factor receptor:EGFR)に接合しEGFRの働きを阻害する分子標的薬であるセツキシマブにホウ素を導入したホウ素抗体薬が開発されました。他方,肝細胞癌が分泌するα-フェトプロテイン(α-fetoprotein:AFP)に対する抗α-AFPが開発され,その後,ホウ素化合物であるdisodium mercaptoundecahydrododecaborate-10B(BSH)をこの抗体に結合させたホウ素抗体薬が作成され,動物実験で抗腫瘍効果の増強や腫瘍組織内のホウ素濃度の上昇といった成果が得られています。
しかし,ナノ(10−9)モル濃度からピコ(10−12)モル濃度という低濃度で薬効を発揮できる従来の抗癌剤と比べると,BNCTにおいて治療効果を発揮するために必要となるホウ素原子は1ミリ(10−3)モル濃度以上と,非常に多量のホウ素薬剤の投与が必要となります。実際,BNCTの臨床現場では,体重60kgの患者に対して30gのp-boronophe-nylalanine-10B(BPA)という多量のホウ素化合物が投与されますが,ミリモル濃度で投与しても正常組織に毒性を示さないことが必須であり,「食塩より毒性の低いホウ素薬剤」が求められます1)。
これまでのところ,BNCTにおいて病変部腫瘍の治癒を期待できるほど多量のホウ素原子を,腫瘍に分布可能な様式で投与した場合でも,正常組織に毒性を示してはならないという条件を克服できるホウ素抗体薬は開発されておらず,従来から使用され,毒性が十分に低いことが証明されているBSHとBPAのみが,現在でも臨床現場でのホウ素薬剤として採用されています。
ただし,ホウ素原子を病変治療部位にきわめて選択性高く分布させうるという特性を持つためにBNCTによって治療可能なほどの多量のホウ素原子を腫瘍部に分布させることができる手法で投与しても,正常組織にはそれほど分布せず毒性も示さないのであれば,新たに開発されたホウ素抗体薬をはじめとする新規のホウ素薬剤が臨床現場で採用される可能性は十分あると考えています。
BPAやBSHなどのホウ素-10薬剤,特に,腫瘍細胞の薬剤取り込み能に依存して細胞内に移行し分布するBPAは,病変腫瘍内の低酸素状態にある腫瘍細胞には非常に分布しにくく,結果としてBNCTの治療効果も低下し,低酸素状態にある腫瘍細胞への殺細胞効果が低下し,病変部の腫瘍全体としての治療効果が低下します。
一方,BNCTによる効果を直接増強するのではなく,BNCT施行時に照射される中性子線ビームにどうしても含まれてしまうγ線を利用し,別個に独立して低酸素腫瘍細胞への効果を付け加えるという意味では,γ線照射による殺細胞効果を向上させうる放射線増感剤併用療法は,付加的な効果を期待できると考えます。BNCTの臨床現場において,これまでこのような試みはないと考えますが,動物実験では認められています2)。
なお,高圧酸素療法によって,腫瘍内の低酸素状態にある腫瘍細胞を効率的に酸素化することができれば,この時点でホウ素-10薬剤を投与し,新たに酸素化された腫瘍細胞へ取り込ませることも可能となり,BNCTの効果を上昇させることができます。ただし,高圧酸素療法により腫瘍内のすべての低酸素腫瘍細胞を酸素化させることは非常に困難で,どうしても腫瘍内に低酸素腫瘍細胞が残存し,ホウ素-10薬剤を取り込まない腫瘍細胞も残存することとなります。さらに,以前試行された高圧酸素療法と放射線治療との併用療法時にも指摘されたように,高圧酸素療法とホウ素-10化合物の投与を同時に施行することは,医療安全上の問題から非常に困難であると考えます。
【文献】
1) 中村浩之:Radioisotopes. 2015;64(1):47-58.
2) Masunaga S, et al:Radiat Med. 2006;24(2):98-107.
【回答者】
増永慎一郎 京都大学複合原子力科学研究所 粒子線生物学研究分野教授