在宅医療への強い誘導政策が10年以上続いている。4月の診療報酬改定では、「かかりつけ医機能(機能強化加算)」の要件の1つに加わった。一方、1人の患者さんを複数の医療機関が連携して訪問診療することも正式に認められた。医療の専門分化や高度化に伴う患者側からの多様な医療ニーズに対応した結果である。しかしその結果、一部の介護施設では1人の入所者に対して内科、精神科、皮膚科など複数の医療機関が訪問診療するケースが増えている。認知症の人を閉じ込めた結果、周辺症状が強くなると施設管理者は家族に精神科専門医や認知症専門医への受診を勧める傾向がある。外来診療のみならず在宅においても、重複受診は必然的に多剤投与を招く。高齢者への多剤投与は、転倒だけでなく認知症リスクを高めるので好ましくない。しかしそうした手厚い(?)医療体制を一種のステータスとして自慢する介護施設も出てきている。無条件に医療を崇拝する介護スタッフは少なくない。特に終末期や看取りになると当然、医療への期待が高まる。
在宅酸素療法の保険適応が末期がんにも拡大された。そのため、多くの施設看取りは酸素吸入下で行われている。あるいは最期まで高カロリー輸液をする施設在宅もある。つまり、最期まで延命治療=絶対的善という、かつての病院医療の価値観が、介護施設においても踏襲されている。そもそも、がん細胞はブドウ糖と酸素を好むので、終末期の患者さんにはある時点からそうした介入は不利益に転じる。つまり、多くの医療には「やめどき」があり、適切な時期にギアチェンジをして、緩和ケアを柱として自然な経過に任せることが、「穏やかな最期」の条件である。しかし、施設や在宅においても臓器別縦割りの医療が提供できる体制になった結果、皮肉にも、「施設や在宅でも平穏死できない」という声が聞こえてくる。また、病院から在宅に紹介される終末期患者さんの「管」が増えている。医療依存度が高いという理由で「最期は急性期病院送り」となるケースは稀ではない。しかし、もはや一般病床は終末期患者さんの受け皿にはなり得ない。