著: | 長谷川幸子(日本医科大学付属病院婦長) |
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著: | 長谷川幹(桜新町リハビリテーションクリニック院長) |
判型: | A5判 |
頁数: | 160頁 |
装丁: | 単色 |
発行日: | 1999年03月01日 |
ISBN: | 978-4-7849-6150-4 |
版数: | 第1版 |
付録: | - |
大学病院婦長が脳卒中に。脳卒中のリハビリ医である夫は,医師として,家族としてみつめ,支えていきます。
さまざまな人に支えられて復職にこぎつけるまでの各種葛藤や、本人・家族のいらだち、不安。それらを隠さずつづった脳卒中の新しいリハビリ・看護書です。高次脳機能障害は長い目で、あきらめずリハビリを続けること、希望のわいてくる1冊です。
診療科: | 内科 | 神経内科 |
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リハビリテーション科 | リハビリテーション科 | |
医学一般 | 看護学 |
第1章 入院記録(要旨)
第2章 脳の解剖と脳卒中の主症状
脳の解剖と機能役割
脳血管の解剖
脳卒中の主な症状
第3章 発症から
第4章 玉川病院でのリハビリ
第5章 脳卒中患者の看護活動と看護基準
脳卒中の急性期の看護ポイント
医療の質保証と質改善
看護の質の保証
口腔ケアの過程基準作成のプロセス
看護の質の保証と基準の関係
第6章 患者の自立への働きかけ
第7章 退院後の生活-患者・家族の心理
病院生活と自宅生活の相違
自己決定とは
患者の心理
第8章 生活リズムの確立
第9章 地域交流に向けて
第10章 事 例
事例1 54歳女性(右片麻痺例)
事例2 45歳男性(失語症,失行症,右片麻痺例)
事例3 59歳男性(左半側空間無視,左身体失認,病態失認,左片麻痺例)
私は1993年2月3日に脳卒中になりました。日本医科大学に運ばれ急性期をすごし、そして日産玉川病院でリハビリテーションを受け、社会復帰した看護婦であり、中途障害者です。
夫は私が社会復帰をしたはじめの頃から、自分の体験を患者さんやそのご家族、障害者の方々、医療関係者達に述べることにより、双方の力になるといい、「本を書いては」とすすめていました。しかし、私の心の中は揺れていました。自分の経験だけを述べて本にすることは恥ずかしいし、かといって述べることがないかというと、そうではないと思っていました。夫は「本を書いたほうがみんなのためになるんだよ」とすすめてくれてはいましたが、私に書く自信がなかったのです。
社会復帰してから1年の間、日本医大で働いていましたが、まだ社会復帰しているという自信が持てませんでした。私が障害者として働くことに対する、さまざまな人たちの細やかな気配りや、優しさ、同情心は、ある意味で私が障害者であることを決定づけていました。それと同時に、まだ自分自身が「自分が障害者である」ということを、すんなり認めてはいない状態でした。
「自分が障害者である」と実感することは、さまざまなところに出ていました。はじめの頃は「記憶」に関する問題でした。通勤時にどの駅で降りるかの記憶がなくなり、途中の駅に降りて駅員さんに聞きながら病院に行ったこともありました。そのため随分長い期間、通勤時は駅名をずうっとブツブツいい続けて歩いたこともあります。
その次は「言葉」の問題でした。この「失語症」という問題は、働いていて一番困ったことでした。看護部長はそのことがよくわかっていて、私のために特別な仕事のメニューを考えてくれました。それは、外来玄関で患者さんやご家族の方の相談に応じる外来医事相談の仕事でした。このようにして、社会復帰が始まっていったのです。
社会復帰してから1年半が過ぎた頃、突然右口角の動きを司る神経がようやく通じたという瞬間があり、唇が開きやすくなり、会話がスムーズになったのです。しかし、いいたい言葉がすぐに出てこないことと、間違った言葉を使ってしまうという障害は、5年たった今もありますし、右上下肢のしびれと温覚異常も残っています。そのため今も、話しながら自分で自分の言葉を聞く努力と、その日の気温や体調に合わせて衣服の着脱をすること、入浴時、麻痺足に傷がないかのチェックはかかせません。
この5年間はさまざまな人たちにサポートされました。そして今いえることは、もし私が、急性期や回復期に質のよい医療を受けることができなかったら、精神・心理や機能障害のレベルが今とはもっと違っていたであろうし、私の人生は違ったものになったと思うのです。
この5年間で私はさまざまな人と話す機会が増えました。その人達の話を聞きながら、その方々の急性期のケアが適切ではなかったと思われることや、老人施設やリハビリテーション施設といわれる所での、それは人権問題ではないかと考えさせられる内容を聞いて、私達医療従事者はさらに質のよい医療を考えていかなければならないと思いました。そしてまた、障害者自身が自立・自律する力をつけていかないと幸せにはなれないという事実の中で、本を書く決心がついたのです。
この本が脳卒中の人達やご家族の方々の役に立ててもらえたら、幸せだと考えております。
本書の執筆にあたり、私がお世話になりました日本医科大学付属病院の皆様と日産玉川病院の皆様に深く感謝いたします。特に私が社会復帰するために支援をし続けて下さった関根看護部長と、私の親友であり悪友であり、なおかつライバルであります周藤和美さんにお礼を申し上げます。
また蔭になり日向になり、私を心配してくれている私の両親と兄夫婦、そして長谷川家親族の皆々様からの支援に対して感謝いたしております。
1999年2月
長谷川幸子