本書は、「医療・介護」「社会保障」に続く、権丈さんの「ちょっと気になる」シリーズの第3作です。前2作では、個別の政策の分析が中心でしたが、本書は医療・社会保障政策の対立の根底にある経済学の2つの系譜について、分かりやすく、しかし深く説明しており、現在の医療・社会保障政策について一歩も二歩も踏み込んで理解できます。
ここで経済学の2つの系譜とは、経済をみる観点が需要重視であるために社会保障の役割を積極的に評価する傾向の強い「左側」の経済学(ケインズ経済学、制度派経済学等)と、供給重視で社会保障の役割を軽視・否定する「右側」、政策思想的にはリバタリアンの経済学(新古典派等)です。一般に経済学の系譜といえば、サミュエルソン『経済学』中の系譜図が有名ですが、権丈さんはそれを正面から批判しており、痛快です。このような論述は権丈さんしかできないし、しかも権丈さんがこれを楽しみながら書いたことが、読みながら伝わってきました。
本章の章立ては一見変わっており、一般の経済書とは異なり「理論編」(第2・3章)の前に「応用編Ⅰ」(第1章 社会保障政策の政治経済学─アダム・スミスから、いわゆる“こども保険”まで)が置かれています。第1章は2017年人事院主催国家公務員課長級以上を対象とした行政フォーラムの講演録で、これを熟読すれば、次の「理論編」の「社会保障と関わる経済学の系譜」についての学術論文の理解が格段に深まります。私自身は、安倍内閣・内閣府では「右側」の経済学の影響が強いにもかかわらず、人事院が「左側」の経済学の旗手である権丈さんに講義を依頼していることは、国家機構が一枚岩ではないことの現れであると「救い」を感じました。
「応用編Ⅰ」に続いて、「応用編Ⅱ」(第4~8章)を読めば、現在の医療・社会保障政策の論点をより深く理解できます。私のお薦めは第6章「研究と政策の間にある長い距離─QALY概念の経済学説史における位置」です。これを読むと、この数年、一部で大流行した効用値(QALY値)を基礎にした医薬品・医療技術の費用対効果評価の議論が、効用をめぐる経済学の長い論争史を無視した底が浅く危ういものであったことがよく分かります。
全章(全論文)には、たくさんの「知識補給」(注釈)が付いており、これをていねいに読めば理解がさらに深まるし、経済学的「雑学」も身に付きます。この部分を読みながら、私は高名な評論家の立花隆さんが「『実戦』に役立つ[読書法]十四カ条」で、「注釈を読みとばすな。注釈には、しばしば本文以上の情報が含まれている」と書いていたことを思い出しました(『僕はこんな本を読んできた』文藝春秋、1995、74頁)。
最後に、本誌の読者が経済学者の書いた本や論文を読む際のアドバイスを2つします。1つは、その著者が経済学のどちらの系譜に属するのかをチェックすることです。「左側」と「右側」では、政策提言はもちろん、「問いの設定」もまったく異なるからです。もう1つは、執筆者が事実認識と価値判断(政策提言)を峻別しているかです。両者を区別せず、「経済学的には○○である」と断定的に書いている執筆者は要注意です。