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坪井信道(3)[連載小説「群星光芒」181]

No.4768 (2015年09月12日発行) P.70

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-13

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  • 翌日、浄界と信道は築地の中津藩中屋敷を訪れ、倉成竜渚に面会した。倉成は丸々と肥えて人の好さそうな儒者だった。

    13歳の信道は小柄で10歳そこそこにしかみえない。倉成は躊躇したようだが、秦 鼎の紹介状をみて、「しばらく学僕として預かってみよう」と承知した。

    安堵した浄界が、

    「いずれ信道は漢方医にしようと思う」と告げると倉成はいった。

    「わしはこの冬奥平侯に随行して豊前中津へ帰藩せねばならぬ。その折、信道はわしの弟子で近江長浜からきた儒医の渡辺奎輔に預かってもらうとしよう。渡辺は皇国の医史に詳しい学究でもある」

    承知した浄界は「よろしくお頼み申す」と頭をさげた。そのあと別室で信道に当座の学費を渡してから、「江戸は生き馬の目を抜く奸人の巷じゃ。純朴な田舎者の金銭などたちまち奪われかねない。おまえは毎晩財布を腹に巻いて寝るがよい」といいつけて近江の福寿院へ帰った。

    倉成は奥平侯に仕えて忙しく、信道がじかに教えを受ける暇はほとんどなかった。信道は雑事の合間をみつけては書庫にある多数の漢籍を片っ端から読みふけった。

    倉成が江戸勤番を終えて豊前中津へ帰藩した翌年、信道は渡辺奎輔の学僕となった。

    外見は穏やかだが渡辺は芯の固い気むずかしい師匠だった。江戸本町2丁目に儒医の看板を掲げていたが患者は少なかった。午後になると渡辺はどこかへ出掛け、夜遅くまで帰宅しない。信道は下男とともに炊事、洗濯、掃除と雑事にあけくれ、修業どころではなかった。

    半年後、渡辺も家の都合で郷里の長浜へ帰ることになり、知合いの漢方医牧野一徳に信道の修業を頼んだ。尾張町2丁目の牧野医院にゆくと、真っ先に「束脩(授業料)を払ってもらおう」と請求された。だが兄から与えられた学費は尽きかけていた。

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