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坪井信道(13)[連載小説「群星光芒」191]

No.4778 (2015年11月21日発行) P.66

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-08

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  • 還暦を迎えて老いさらばえた浄海は落ち窪んだ目をしばたたいて信道を迎えた。

    「兄上……」

    信道はそういったきり目頭に滂沱の涙が溢れだし、兄の姿はおぼろに霞んだ。

    文政9(1826)年に義絶を申し渡されて以来、足掛け16年ぶりの再会だった。

    浄界は痩せた腕をのばして弟の肩を抑え、

    「信道……」と掠れ声をだした。

    「こうしておまえと再会できたのも、御仏のご加護と織田秀信様以来のご先祖の恩寵があったればこそ……」

    その兄の言葉に胸中の重苦しさはすみやかに消え去り、感激と安堵の念で満たされた。遠く離れた長幼2羽の鶴はふたたび相いまみえたのだ。

    ややあって信道は面を上げて訊ねた。

    「兄上、お体の具合はいかがですか」

    「うむ、厠までは支えられずになんとか歩けるようになった」

    「それは吉上。お体がよくなったら、ぜひとも手前の医塾までお越しください」

    「おお、必ず往くとも。それを楽しみにわしも養生につとめよう」

    弘化2(1845)年の春を迎えると、浄界の体調は長旅に耐えるほどまで回復した。信道が江戸からさしむけた弟子に付き添われ、浄界が江戸深川冬木町の『日習堂』に着いたのはその年の5月7日だった。

    まっさきに妻の粂と息子や娘たちを引き合わせた。厳しかった浄界の顔は歓びに溢れ、しきりにこどもらと戯れた。

    信道は兄のために『日習堂』の離れに袋棚と押入れつきの4畳半を新築した。浄界はそこに寝起きして翌年の2月末まで10カ月あまり滞在した。

    「わしは江戸見物をはじめいろいろと心のこもった歓待を受けた」

    弟を許してよかったと浄界は心から満足した表情で清澄寺へ帰っていった。

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