No.4742 (2015年03月14日発行) P.15
長尾和宏 (長尾クリニック)
登録日: 2016-09-08
最終更新日: 2017-03-14
本誌はプライマリケアに関する記事が実にバランスよく配置されている。中央では専門医としての総合医議論が盛んだが、毎号の本誌熟読が本物の総合医への近道とさえ思える。本誌の読者層は広く、若手医師にも多く読まれていると聞いた。
そこで今回は、若手医師に向けて卒後30年の町医者からのメッセージを書いてみたい。時代も制度も違うが、若い医師にひとつでも参考になることがあればと思い、昔話をさせてください。
私は東京医大を卒業してすぐ、母親の介護を予想し故郷の大阪大学第二内科に入局した。第二内科を選んだのは地元の友人から「第二内科は他大学卒でも差別なく入局できる」と聞いたから。
果たして正月明けに電話したら「入局試験は年末に終わったばかり」と。しかし関連病院に派遣する“兵隊”が足りないという理由で再度試験を行うとのこと。ところが1週間後、来帰する新幹線は米原の大雪で立ち往生し、大学に着いた時は再試験が終わるところだった。呆れた監督官は「しょうがないな、1時間で書いてね」と試験用紙を渡してくれた。ほとんど白紙の回答用紙は限りなく零点に近い点数だったろう。しかし翌日、今度は面接試験に来るようにとの連絡があった。
面接会場となった教授室には助教授、講師、助手の先生方が並んでおられた。一番奥に垂井清一郎教授が座っておられたが、後光がまぶしくて本当にお顔が見えなかった。白い巨搭のオーラに圧倒された。「なぜ第二内科を選んだのか?」という当たり前の質問にさえシドロモドロになった。それでもなぜか合格して、「国試が終わったら来なさい」との連絡をいただいた。後で知ったが面接はメンタル不調者を診るためのものだったそうだ。
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