1953(昭和28)年に高橋和巳(1931~1971)が発表した『日々の葬祭』(『筑摩現代文学大系85』筑摩書房刊)は、戦後間もない頃の大阪の医師を主人公とした作品である。父親の跡を継いで開業医になった主人公の医院は、一見して戦前からの焼け残りとわかる古びた住宅街の一角にあって、家全体が前方に傾いて見えるような家だった。
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医師になって20年の主人公は、「自分ひとりではたち打ちできない外側からの圧迫にたいしては、ただ海綿のような諦念の微笑を洩らす」、「華々しい野望、それ以外のすべてが無意味であると思われた苦悩も、どこか薄明の場へと消えていき、そのかわりに、己とその周辺の者が生きるために必要でない事柄にたいしては、極端に忘れっぽくなる」などと語るように、いささか虚無的で人生に倦怠を感じるような毎日を送っていた。
半ば人生を諦めたような彼は、自分の医院を訪れる患者に対しても、「その一人一人を正確に記憶しておくほどの熱意はなくなっていた」のである。
主人公が、こうした状態に陥った背景には、いくつかの要因があった。たとえば、「息子にたいして非の打ちどころのなかった医師の父が、不名誉な病で狂死した」ことや、「外からは最高の知恵がつどっているように見える研究室には、陰険な抗争と嫉視が渦巻いていることを知った」こと、そして、「私は戦後つまらぬことに手をだして、乏しい家の貯蓄の大半を失っていた」、「ある人物と合資して貧民街に診療所をつくろうとしたのである」と語るような詐欺被害にあったことなどである。
こうした経緯もあって、妻は主人公を信用しなくなり、一人娘も、主人公から見れば、「ハイヒールやハンドバッグ、婚約者と見にいく映画や芝居いがいには、頭の中になにもはいっていない馬鹿者」に過ぎないなど、彼は家庭でも一人孤立していたのである。
もっとも、これらの要因以外にも、「元来が臆病で、いくらかものぐさな私にとっては、もし他の職分に甘んじていれば、周囲は死のように平穏無事であったかもしれない」、「他人の肉体をとり扱うばかりでなく、いささかその経済状態や精神生活を垣間見ることもさけられぬこの職業では、人の悲惨や愚劣にもまた欲せずして触れねばならなかった」と語っているから、自分は本来、医師には向いていないという自覚もあったようである。「第一級の医師であろうとすれば、この世の習慣や環境衛生や家族構成にも関心をもち、病の治療に応用しなければならない。一家の支柱が病に倒れれば、病人ばかりではない、その家族ももう正常な状態にあるとはいえない」。
そんな主人公に、ある夜往診の依頼がくる。駅前の高架下にある煙草屋の老婆がやってきて、孫娘の容態を、「死にそうなんですよ」、「血を吐いて、もう死ぬって泣いてるんです」と訴えたのである。
重い外套をはおり、黒カバンに応急の止血剤や強心剤、注射器などをつめた主人公は、「絶対安静にしていなくてはならない結核を放置していたのであろう」、「本人も転倒しているらしいことから推測すれば、はじめての吐血なのかもしれない」、「貧困と過労にむしばまれる青春を、私は数多く知っている」などと考えながら、患家へ向かった。
当時の大阪の街は、いまだ焼け跡が散在し、街灯も乏しくて危険だった。どこに汚物が捨てられてあり、どのマンホールの蓋がこわれているかもわからない。当時は、日本最大の商工業都市の真中に、常夜灯一つない荒野があったのである。
患家に着くと、家の中から家族同士が罵り合う声が聞こえてきた。「死んだるわ。ええ、死んだるとも」、「はあ、よかよか。死んでくれ。皆が助かるわ、なるたけ早う、おねがいしますわ」、「苦しいよう。苦しいよう。……親やからゆうて、子供をばかにしていいというの?人殺し」。
部屋に入ると、炬燵を中心に5人の子どもが輪になって雑魚寝をしており、食卓代わりのリンゴ箱の上には、玩具のような茶碗がいくつも伏せられていた。肝心の患者はといえば、「想像以上に憔悴して、自分のあげる世間と肉親への呪い声にすら疲れ、頬にほとんど肉はなかった」。その「瞳はとげとげしく、己れをも含めた人間への灰色の侮蔑で濁っていた」が、彼女はまた、病人特有の鋭敏さで、主人公の思惑を全部見ぬいているというような沈鬱な眼で、凝視するのだった。
結局、主人公は、生理食塩水やカルシウムの注射をしたほかは、「血を吐きよりましたね」、「レントゲンはいつとりましたか」、「お家族に同じ病気をわずらった人はいませんか」などと声をかけ、患者の痰壺は毎日捨てるよう助言しただけで、家族にレントゲン写真を撮ることを勧めるのも忘れたまま、帰った。
その後、この患者の家族が、用意していた内服薬を取りにくることはなく、主人公も娘の結婚問題などに忙殺されて、通りがけに1回立ち寄っただけだった。しかも、前回の助言にもかかわらず、痰壺には相変わらず数日間の痰が貯められていたのだが、その時患者は、主人公に妙な依頼をした。
それは、以前付き合ったことのある男に紙包みを渡してほしいというもので、主人公から見れば、もう半年以上も会っていないというその男が、結核患者である彼女に関心を持っていないことは明らかだった。
結局、主人公は彼女からの依頼を履行することなく、また、時に「あの少女に早く入院をし、外科手術を受けるよう勧めるべきだ」と思いつつも、何の医学的な処置をすることもないまま、その患者は亡くなるのである。
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このように、『日々の葬祭』には、終戦間もない頃、有効な抗結核薬がなかった時代の医師の姿が描かれているが、やはり気になるのは、この主人公の無為・無策である。
医師が個人的にどのような人生観や価値観を持とうと、それは自由である。だが、この場合、少しでもストレスが少ない衛生的な環境のもとで治療や栄養補給することを優先すべきなのに、この主人公は人生を詠嘆するだけで、自らの消極的な思想に引きずられるかのように、劣悪な状況に患者を放置したまま、瀕死の患者に「あなたはその人と寝たことはあるのかな」といった無神経な質問を発するなど、医師として果たすべき当然の責務を怠っていると言わざるをえないのである。