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佐藤泰然(8)[連載小説「群星光芒」230]

No.4818 (2016年08月27日発行) P.66

篠田達明

登録日: 2016-10-16

最終更新日: 2017-01-20

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  • 外科の名医として評判を呼んだ薬研堀の佐藤泰然だが、医療を金もうけや身分を得る手段にすることをひどく嫌った。

    父の佐藤藤佐は「総領息子のお前を直参の士分にせねばならぬ」といい、金子を積んで旗本株を取得した。だが泰然は「幕臣になれば身を雁字搦めにされます」と少しも悦ばず、弟の喜惣治(然僕)に譲ってしまった。

    「わしが総領のために苦労して手に入れた士分を手放しおって」

    藤佐は目をむいて怒ったが、泰然は素知らぬ顔でやりすごした。

    そもそも故郷を追われた父が根無し草であるごとく、泰然も地位や名誉、財産や家系といった煩わしい縛りを離れて天涯地角の独立人として生きてきた。

    娘たちを残して独り寂しく身を引いた先妻のことも脳裏にあった。優しかった先妻の面影が長女のツルに偲ばれるのも人生のはかなさを感じて辛かった。

    庄内藩転封事件が一段落した天保12(1841)年秋、15歳の少年山口舜海が泰然の医塾に入門してきた。

    舜海は下総国香取郡(千葉県香取市)の出身で小見川藩医の次男だった。少年時代に江戸へ出て漢学を寺門静軒に学び、四谷の蘭方医安藤文沢の許で外科修業をした。

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