毎年10月22日は国際吃音啓発の日(International Stuttering Awareness Day:ISAD)である。これに関連して、吃音当事者と臨床家の相互理解と支援を目的に10月の1カ月間、オンライン会議が開かれる1)。日本では当事者団体である言友会等が啓発活動を行う。言うまでもないことかもしれないが、「吃音症」(ICD-10:F98.5)は医学用語で、一般には「どもり(吃り)」と呼ばれる。吃音当事者団体等は人の呼称ではない意味での「どもり」の使用を容認している。しかしマスコミは「どもり」を差別用語として一律に使用禁止にして、「吃音」ないし「きつ音」のみを使うので、この単語を知らない一般人には情報が伝わりにくい。つまり、マスコミは吃音啓発の役割を十分に果たしえないという状況がある。
なお、英語のstuttering/stammeringは一般用語で、stuttererが人の呼称としての「どもり」(吃音者)に相当する。前世紀までは論文でもstuttererが吃音者を意味するほぼ唯一の表記であったが、今世紀には、障害がその人のすべてであるかのような表記(動詞+接尾辞er)は不適切とする意見が多くなり、“person who stutters”という“person first”と呼ばれる表記がよく使われるようになった。“person first”は「人」を句の最初に置くという意味だが、「障害より人を重視する」という意味も兼ねているようだ。
さらに近年は、障害である吃音を矯正すべきだというようなableismに陥らずに、吃音をneurodiversityの1つであるとして多様性をポジティブにとらえ、吃音を持つことを恥ではなく誇りととらえようと主張する人たちが出てきた2)。そういう人たちは、あえて自らをstuttererと呼ぶことがある。
日本語の学術書や論文では昔からstuttererを「吃音者」と訳しており(小児は「吃音児」)、差別的含意はない。しかし英語で“person first”が良いとされるようになると、日本語の表記もそれに合わせるように変更されつつある。しかし、“person who stutters”を直訳すると「どもる人」になり、かえって差別的含意を生じるので「吃音がある人」(person with a stutterの直訳)と表記する、というねじれが生じている。
一方、他のほとんどの障害では「障害名」+「者」という表記は問題視されていない。例えば「めくら」は差別用語だとして「盲人」に言い換えられたが、さらに弱視者を含めた表記として「視覚障害者」が当事者も含めて使う用語になりつつある。
「どもり」をマスコミが使わないのはここでは措くとして、「吃音者」という表記を良しとしないというのは、他の障害に比べてかなり特異であり、個人的にはあまりしっくりしない。吃音への偏見と差別、謗りが多い日本ではそうせざるを得ないのだろうか、あるいは形だけ海外の真似をしたのか、疑問が残る。
【文献】
1)International Stuttering Awareness Day.
https://isad.live/
2)WIKIPEDIA:Stuttering pride.
https://en.wikipedia.org/wiki/Stuttering_pride
森 浩一(国立障害者リハビリテーションセンター顧問)[発達性吃音][stuttering pride ][差別用語]