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【識者の眼】「恋と麻疹(はしか)は……」森内浩幸

No.5213 (2024年03月23日発行) P.57

森内浩幸 (長崎大学小児科主任教授)

登録日: 2024-03-06

最終更新日: 2024-03-06

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恋を麻疹に譬える言葉が二、三ある。たとえば「恋は麻疹と同じで、誰でも一度は罹る」(J.K.ジェローム、1824〜1904)というのだが、ツッコミその1「恋とは病的な状態」ということみたい。まあ確かに、どちらも罹っている間は頭がふあふあして理性的ではなくなるかも。ツッコミその2「今どき麻疹には罹らないでしょ」。てか、罹ったら大問題! 

古い人の言葉を紹介していたら、若い教室員から「恋と麻疹だったら日向坂46の歌にもありますよ」って、私にはどこの坂道だかわからないけれど、どうやら「恋とは麻疹だ すぐ治る そう言われたけれど 僕は重症みたいで まだ熱にうなされている」という歌詞の一節があるらしい。う〜ん、ツッコミその1「これ歌っている女の子たちみたいに若い人が麻疹罹っちゃったら大変でしょ!」(もっとも作詞家は1958年生まれだから昭和の感覚なのかも)。ツッコミその2「『すぐ治る』って、そんな軽く考えちゃダメでしょ!」。以下参照。

またまた古い人の言葉に戻って「恋は麻疹と同じで、年取ってから罹るとそれだけ重くなる」(D.ジェロルド、1803〜1857)というのもある。これは当たっている(恋のほうはどうだかわからないけど、麻疹のほう)。

江戸時代、麻疹は数十年に一度(記録によると260年間に13回)流行した。麻疹の感染力は凄まじいので、一度流行すると、罹ったことがない人はほぼ全員罹ってしまい、その時点で集団免疫が獲得されて鎮圧。そしてまた人口の多くが感受性者に置き換わるまで鳴りを潜めた。言ってみればその当時の麻疹は数十年ごとの「再興感染症」だった。横道に逸れてばかりだが、江戸時代の川柳に「麻疹で知られる傾城の年」というのがあるそうで、麻疹が流行っても罹らなかった傾城(遊女)が年を誤魔化していた(前回の麻疹の流行の時にはもう生まれていた)のがバレた話である。

さて30年ぶりの流行だと、乳児から30歳の大人まで一気に患者が出るが、子どもよりも大人(15歳以上)のほうが重症になりやすいことが観察されていた。徳川5代将軍綱吉は数えの64歳(私と同年齢!)で麻疹に罹患し亡くなっている(正確には麻疹からなんとか回復したところで誤嚥性肺炎を起こしたらしい)。彼が生まれた後、巷では何度も麻疹が流行したのに、大奥のそのまた奥で暮らす将軍様は麻疹患者と接する機会がなかったのだろう。

ともあれ「麻疹は命定め」と言われただけあり、江戸では1回の流行で死者が7万5981人(江戸洛中麻疹疫病死亡人調書)とも23万9862人(江戸のお寺の報告の集計)とも言われ、江戸の人口を100万人として計算すると人口の7〜24%が亡くなったことになる。だから「恋とは麻疹だ すぐ治る」なんて言わないでほしい。「そんなの昔の話でしょ〜」と思っている方は、次回のコラム「旅行者感染症・新興感染症だった麻疹」もぜひご一読を。

森内浩幸(長崎大学小児科主任教授)[感染症の歴史][麻疹(1)

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