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Precision Medicineとそのインパクト [J-CLEAR通信(63)]

No.4800 (2016年04月23日発行) P.42

後藤信哉 (東海大学医学部内科学系循環器内科教授,J-CLEAR副理事長)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-01-26

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  • Precision Medicine Initiative

    米国は世界のthought leaderである。オバマ大統領は,将来的な個別化医療に向けた“the Precision Medicine Initiative”を公表している1)。2016年度にオバマ大統領が主導する200億ドルを超える予算の中でも,Precision Medicineの実現に向けたプロジェクトが優先される。

    現在の医学を支える科学の論理は,「患者集団」の「標準治療」を見出すevidence-based medicine(EBM)を基本原則としている。EBMは「標準的人類」における「標準治療」確立をめざす思想体系であった。筆者があえて「思想体系」と言うのには理由がある。EBMの世界は「標準的人類」に対して「標準治療」を行うことが「正しい」と定義する世界である。「個人の自由」をめざす行動を「正しい」と定義する自由主義,「社会の安定」をめざす行為を「正しい」と定義する社会主義,「党の判断」を「正しい」と定義する隣国・中国の共産主義などと類似する。EBMはこれらのイデオロギーと同様に,医療の何が「正しく」,何が「正しくない」かを定義する思想体系なのだ。

    我々は人体の複雑性を完全に理解していない。個別の症例に対する「最適の治療」はわからない。ランダム化比較試験を無限に繰り返せば,「標準的人類」の「標準治療」を示すことが可能ではある。急性心筋梗塞の予後が悪い時代を経験してきた世代の循環器内科医としては,アスピリン,アスピリン・クロピドグレル,スタチンなどの「標準治療」の確立にEBMの発想が大きく貢献したことを評価せざるをえない。国民皆保険制度により,国内の医療の「標準化」がなされていた日本では,文化的壁もあり,医師,患者ともにリスクをとってランダム化比較試験に挑戦することは苦手であった。EBMは科学であり思想体系であるから,ランダム化比較試験が追求するのは「標準的人類」に対する「標準治療」である。日本がEBMの世界に参加するということは,米国主導の「標準的人類」に対する「標準治療」の確立に日本も貢献することを意味した。

    筆者が知る限り,日本ではEBMの基本構造に対する本質的な議論は盛り上がらなかった。欧米の決めた「標準」を取り込んで消化することは,明治以来の日本のお家芸である。本質的議論がなくても,企業主導,医師主導の治験,臨床試験ともに技術的にはランダム化比較試験の基盤が整備されてきた。しかし,我々が追いついたところでコロリと,「基本原理」を転換するのがthought leaderのthought leaderたる所以である。

    日本では,明治以来ドイツの医学教育制度を輸入して,基礎科学重視,基礎研究重視の医学教育を行ってきた。伝統的な職人気質もあり,EBMを取り入れながらも日本独自の感覚的,職人的医療が行われてきた。しかし,EBMの普及とともに,日本特有の生理学,薬理学などの知識に基づいた個別的医療の基盤は弱体化してしまった。欧米のEBMの発想に追いつくのに時間を費やした我々は,かつて得意であった基礎研究により取得する情報も重視するPrecision Medicineの方針にうまく適応できるだろうか。「個人の特性に基づいた個人ごとの最適医療」を「正しい」とするPrecision Medicineの基本原理を咀嚼して米国とともにthought leaderとして世界をリードできるだろうか。

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