タイ人の父と日本人の母の間に生まれ、高校卒業までタイで育ち日本に留学・就職した著者自身の経験を基に、真の相互理解のための第一歩として本書を執筆。現職は各種国際会議・司法通訳、成蹊大・昭和女子大講師。
(中島マリン 著、めこん、2012年刊)
初めてラオス人の患者を診察したのは卒後17年目の1981年であった。当時、私は、神奈川県大和市立病院に勤務する傍ら、共産革命下の祖国を命からがら逃げ出して日本政府に受け入れられたインドシナ三国(ラオス、カンボジア、ベトナム)の難民が入所する、大和定住促進センターの嘱託医を兼任していた。
同センター入所時の検診の際、言葉は通訳がいて何とかなるが、ただ一様に不安げにうつむく人々を見て、彼らの習慣や考え方がわかれば、こちらの気持ちももっと通じるのではないかと考えた。しかし、当時はラオスやカンボジアの習慣に関する本など目にしなかったと思う。
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