ヒポクラテスは、50歳前半の頃、コス島で医術を教えていた。ある時、退屈した学生がヒポクラテスの似顔絵を描き、数名の学生が、その絵を持って街で一番の人相見に押しかけた。「この絵の人物を鑑定してください」「さーて、この顔は、わかりやすくいうと女たらしだ」。学生たちは動揺し、「この人は、わしらの先生で、とてもそんなことは考えられない。何かの間違いだ」。人相見は「もう商売の邪魔だから、とっとと帰ってくれ」と言った。学生たちは、プラタナスの木の元に帰り、事の次第をヒポクラテスに話した。「街で一番評判がいいという人相見に、先生の似顔絵を見てもらいました」「ほう、どのような絵かな」「これです」「なかなかのできばえだな。なんと言っておったかな」「それが、無茶苦茶ですよ。先生を典型的な好色の相があるとかなんとか。街の評判も当てになりませんね」「いやいや、それは、すばらしい人相見だよ。街一番の評判が立つはずだ。実は、わしは、本当は好色なのだ。この点では、人相見の見立てが当たっている。だがな、本能に任せてそのまま生きていたら、こんなところでみんなに教えることはできない。わしは、それを抑制する知恵を持っているのだ」。学生一同あらためて感心した。
実は、ヒポクラテスは、30代だった頃、トラキア地方の50代半ばの博学者であるデモクリトスに呼ばれて出かけたことがあった。「ヒポクラテスと申します」「私が、デモクリトスです。さてこちらのお嬢さんは?」「私の秘書の○○です」「こんにちは、お嬢さん」。その日、デモクリトスはいろいろな見識をヒポクラテスに披露した。翌日も、ヒポクラテスは、デモクリトスの家を訪問した。「こんにちは、ヒポクラテスさん。そしてこんにちは、奥さん」と挨拶をした。そしてヒポクラテスに向かって、「ヒポクラテスさん。敵に勝つ者のみが勇敢なるにあらず、自己の快楽に克つ者もまた然り」と言った。ヒポクラテスの顔は真っ赤になったが、その洞察力のすごさに感心し、とうとう弟子入りすることになった。ヒポクラテスは、この一件で「自己抑制法」の必要性を学修した。