現在、社会人はもちろん学生や主婦まで、皆携帯電話を持っている。いつでも、どこでも連絡でき、メールやメッセージも利用できる。とても便利ではあるが、携帯電話に縛られて、身の隠しようもなくなっているのである。しかしながら、電源を切ってしまう勇気もない。もはや、携帯電話のない社会など考えられなくなってしまった。
ここまで携帯電話が発達する以前はどうだったか思い出してみたい。1980年代はポケットベルが流行していた。数字で連絡先を送ったり、暗号化して利用していた。私が医師になった頃は、必ずポケットベルを持たされていたし、ゲーム感覚で楽しみながら使っていた。また、この頃ファクシミリも一般化されてきた。こちらは、PCメールがふんだんに利用できる現在でも、その存在は確固としたものになっている。
では、それ以前の連絡はどうしていたのだろう。学生時代のアパートには電話などなかった。実家にいる頃も、電話は1台しかなく、なかなか自由には使えなかった。それでも、必要に応じて友人と集合できたし、デートだってできた。そういえば、誰からの電話かを家人に知られたくないため、電話の傍に張り付いて待っていた、なんてことを思い出す。この頃は、どこで何をしていようと、傍若無人に携帯電話が鳴り響く。そんなことは以前はなかった。その代わりに、会うときの約束は絶対だった。携帯電話やメールのように簡単に約束できないのだから。現在よりゆったりと、そしてしっかりと生活できていたのではないかと思う。
では今、携帯電話がなくなったらどうなるだろうか。バックアップは取ってあるものの、すぐには誰とも連絡できない。メールもメッセージも見られない。スケジュールも入れているのでこれもわからない。先日、携帯電話のSIMカードが壊れ、入れ替えるまで2日ほど使用できなかった。やっとカードが新しくなったとき、いきなりメールが数件、留守電は5件ぐらい入ってきた。そうかと思えば、どこに置いたかわからなくなり、タクシーに置き忘れたのかと、PCを使って探したことも2回ほどある。
昔を懐かしむのも良いが、このような状態では、どうみても自分は携帯電話に支配されているようである。