昨年より、北海道から沖縄まで訪問する機会が増えた。ふと昔の記憶がよみがえったので書き留める。
44年前頃、当時、周遊券を使い安く旅行することが学生に人気があり、カニ族として北海道を周遊した。本州から函館までは青函連絡船で4時間の船旅だった。青森から出航すると後ろに見える本州がさみしく見えたのを覚えている。北海道では、おおよその行程は決めていたが、鉄道まかせの旅だった。札幌では、北大の古いオンボロの恵迪寮に宿泊して、一夜を過ごした。その後旭川、根室、稚内を巡った。旭川では、駅舎に新聞紙を敷いて寝袋で泊まり、駅の水道で翌朝顔を洗うときに祖父にもらった時計を消失したのは、苦い思い出だ。
さて、青森のことであるが、メモリアルシップ八甲田丸があり、昨秋見学することができた。八甲田丸は全長132m、全幅17.9m、旅客定員1286名、積載車両48両とある。船体は、地下1階地上4階の巨大なつくりだ。歩いて見学すると早足で30分程度はかかるが、エンジンルームの広さには目を奪われる。乗客数の推移を見ると、昭和48年頃がピークであった。「津軽海峡・冬景色」という悲しい名曲もあるが、その歌碑が、八甲田丸の傍にある。
また、青森の芸術家といえば棟方志功がいる。棟方志功記念館が青森にあり、約38年ぶりに訪れた。一度目は、弘前大での北医体参加時、青森周遊のときに訪れていて、その折には、足を延ばして恐山にも行ってイタコにも会うという貴重な体験もした。記念館内では棟方の生い立ちから作品づくりのビデオを鑑賞して、展示物を見ることができる。ねぶたに影響されたという作風は大きな生命力を感じさせる。棟方が芸術家になろうとしたのは、走っていて田んぼで転び、目の前の沢潟の白い花に感動したためという逸話も聞いた。彼の健康法は裸足で芝生の上を歩くことだとの様子も映されている。帰りにみみずくの版画を求めた。青森の魅力は尽きない。