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わが国の医学研究の課題 [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.131

玉置 淳 (東京女子医科大学内科学第一講座主任教授)

登録日: 2017-01-05

最終更新日: 2016-12-26

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年の暮れがめぐってくるたびに、また1年があわただしく過ぎ去ってしまった物寂しい気分と、新年を迎える清々しい気分になる。寂寥感と躍動感が入り交じる時節である。

大学での研究生活も常に時間に追われ続けて30年近くとなるが、今ほど日本人医学研究者の倫理低下が懸念されたことはなかったと思う。研究には創造性がなければならないし、独自の研究成果を生み出して世界と勝負をしなければならない。また、他人の模倣であってもならない。

わが国の医学の歴史をみると、現在あるものの多くは西洋で生まれたものであり、それは、江戸時代の鎖国の頃にオランダを通じて入ったわずかのもの以外は、明治以降、現在までに輸入されたものである。そのため、日本の医学研究は体質的に独創性に乏しいと言われている。さらに、近年若い医師の研究指向自体が年々低下しており、意識も内向きとなり、留学を希望する人も減っている。このような現状をみるにつけ、リサーチマインドを涵養し、グローバルな人間関係を育成することの必要性を痛感する。また、彼らは早いうちに専門医を取得し、研究で苦労するよりも、給料の高い安定した生活をめざす傾向にあるように感じる。

「若さが幸福を求めるなどといふのは衰退である。若さはすべてを補ふから、どんな不自由も労苦も忍ぶことができ、かりにも若さがおのれの安楽を求めるときは、若さ自体の価値をないがしろにしてゐるのである」(三島由紀夫著『絹と明察』より)

それでは古参医師ではどうか?人は、年齢を重ね、職場で様々な体験を積むことによって、いわゆるキャリアを形成していく。しかし、それに甘んじていると、知らず知らずのうちに心が萎えていき、どんな出来事に遭遇しても新鮮な驚きや目を見張るということがなくなり、粛然と姿勢を正す機会を失うのである。わが国では60歳前にして自分の研究を止めてしまう学者の例に事欠かない。しかし、欧米ではいかに大学者であっても、管理職に格上げされたのを理由に研究を断念することなどありえない。自戒の念も込めて、学者は役者同様、命のある限り舞台に立つのを本望としなければならないと思っている。

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