現在、腸内細菌叢(フローラおよびマイクロビオータ)に高い関心が払われている。従来の分離培養法に加えて16SリボゾームRNA遺伝子を対象とした16Sメタゲノム解析法や、すべてのゲノムを対象としたメタゲノム解析法が導入され、健康や諸疾患と腸内細菌叢との関連についての新知見が世界のトップジャーナルに続々と報告されてきたためである。
腸内細菌叢研究のルーツは19世紀後半のLouis Pasteur, Theodore Escherich, Élie Metchnikoffなどの研究に求められる。1857年、Pasteurは「乳酸発酵と呼ばれる発酵現象についての報告」を発表して、当時考えられていた「発酵素」ではなく、微生物が乳酸発酵を行うことを明らかにした。発酵に与る微生物は乳酸酵母(現在の乳酸菌)と命名された。続いてHenry Tissier, Ernst MoroによってそれぞれBifidobacterium, Lactobacillusが分離培養された。
20世紀に入り、多数の研究者が腸内細菌叢の研究に従事し、「すべての成人が腸内細菌叢を持っている」「菌叢構成菌の主たるものはBacteroidesなどの偏性嫌気性細菌である」「ほとんどすべての母乳栄養児の腸内細菌叢はBifidobacteriumを高い菌数で含んでいる」「Bacteroidesなどの偏性嫌気性細菌数はE. coliよりも何十倍も多い」などの見解が提唱され、今日の腸内細菌叢に対する考え方の基盤となった。わが国でも光岡知足博士の研究グループは偏性嫌気性細菌の培養法を確立し、ヒトの腸内細菌叢の形成についての基礎的知見を明らかにするとともに、腸内細菌叢の中のBifidobacterium, Lactobacillusなどが宿主に利益的に作用することを提唱したことが特筆される。
21世紀に入り、腸内細菌叢に関する研究論文は激増し、2015年のPubMed検索の結果では、原著・総説合わせて4500編を超える論文がこの年に発表されている。これらの研究より、腸内細菌叢が健康や様々な疾病(Clostridium difficile感染症などの腸管感染症、炎症性腸疾患、アレルギー疾患、大腸癌、非アルコール性脂肪性肝炎などの肝疾患、糖尿病・動脈硬化症などの生活習慣病、多発性硬化症・自閉症・アルツハイマー病などの精神神経疾患など)と密接な関連を持つことが明らかになり、腸内細菌叢の解析が当該疾患の診断・治療・予防に役立つことが期待されている。次世代シーケンサーを駆使して得られたデータは膨大であり、今後これらのビッグデータを如何に有効に活用していくかが問われている。
近年、医学領域において「レジリエンス」という言葉が多用されている。レジリエンスとは「精神的回復力」「復元力」「耐久力」などと訳される心理学的用語であり、「折れない心」とか「幸運な外れくじ」などとも評される。医学領域では遺伝因子を持ちながら病気を発症しないレジリエントな患者を対象とした研究により、これまでにわからなかった病態が解明されることが期待されている。疾患を持つ患者ではなく、レジリエントな患者を対象とした腸内細菌叢に関するビッグデータの評価が、今後興味深い知見をもたらしてくれるのではないかと考えている。