いきなり偉そうな物言いですが、私は近年、「事実は小説より奇なり」を捩って自分でつくった「真実は仮説より奇なり」という句を座右の銘としています。この言葉は、 これまでの研究人生を通して私に否応なしに与えられた実感であると同時に、痛烈な自戒の句でもあります。つまり、仮説とは所詮、人間が小さな頭で考えたストーリーにすぎず、生命の真実はそれよりもはるかに偉大で面白いという畏怖の念、そして、自分が立てた仮説を決して目の前の実験データの「上」に置いてはならないという戒めです。むろん、自然科学の究極の目標は、より洗練された仮説を提示していくことそのものにあるわけですが、科学的仮説あるいは理論は、実験データの前に、常に暫定的(tentative)でなくてはなりません。
私の研究スタイルは、詳細な作業仮説を置かない探索研究を常に軸としてきたように思います。エンドセリンやオレキシンの発見は、まさに探索研究の産物でした。探索研究を遂行するには 「technical courage―専門家としての勇気」つまり目的のためには現時点で使える手法論をすべて駆使し、時には自分の研究領域を飛び越えることをも辞さない勇気が必須であることは、 恩師であるテキサス大学のブラウン・ゴールドスタイン両先生から学びました。エンドセリンの発見は「内皮由来のペプチド性血管収縮因子」の探索でしたし、オレキシンの発見は機能的仮説をまったく置かないオーファン受容体リガンドの探索でした。どちらも、その時代に利用可能であった最先端の手法を駆使したつもりです。オレキシンの主要な機能が睡眠覚醒の制御であることを突き止めた研究も、一切の具体的仮説を廃したオレキシン欠乏マウスのフェノタイプ探索でした。思えば、エンドセリン系とオレキシン系がそれぞれ日々臨床の現場で使われる上市医薬の標的となりえたのは、基礎研究者としてきわめて幸いなことでした。
そして現在、私どもは睡眠覚醒の制御メカニズムや「眠気」の物理的正体といった難題を相手に、フォーワード・ジェネティクスという新たな探索研究を、次世代シークエンシング、ゲノム編集など時代の手法を駆使しつつ進めています。探索研究には、一度味をしめたら決してやめられない、依存性薬物のような魔力があるのかもしれません。