私が医師になりたての1970年代は、治療の大変革により結核の外科治療がそれこそ急激な右肩下がりで先細りになっていた時代であった。一方、肺癌の症例は増えつつあったものの外科治療の適応となる症例はまだ数少なく、呼吸器外科医はいわゆる一般外科の診療も担わなければ、特に地方での仕事はあまりなかった。その頃は、肺癌が今のように癌死のトップになるような時代が来ると考えている人間はあまりいなかったし、肺癌の外科などは片手間でもできるくらいにしか思われていなかったほどマイナーな領域であった。オートファジーの研究で2016年のノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典先生が、ひとのやっていないことをやることが楽しいんだ、ということをおっしゃっていた。
私が呼吸器外科の道を選んだのは、それほど高邁な考えによるものではないが、振り返ってみれば、結果として肺癌の外科はもとより肺移植に至るまであまり多くの人が群がっていない領域で自由に仕事ができて大変楽しい時代を過ごすことができた、と思っている。ある意味大変幸運であった。
時代は変わって、あれほど難攻不落であった肺癌の治療も、分子標的薬、免疫治療薬の開発、コンパニオン診断など、以前とは随分、いやまったくと言ってよいほど様相が変わってきた。画像診断のためのツールはもちろん、診断の目も以前とは比べものにならないレベルに向上している。一方で、診断面での研究も着実に進んでおり、肺癌の治療のページがまさにめくられようとしている空気が強く感じられる。一旦ページがめくられればその後の変革のスピードがきわめて速いことは、結核の治療の変革から容易に推定される。早期病変が確実に診断され、局所病変のうちに治療できるようになれば、かつての結核外科のように薬物療法ではどうしようもない病変などに外科の出る幕がきわめて限られたものとなるであろう。そのような時代が遠からず到来することを最近益々感じている。呼吸器外科に限らず腫瘍外科を専らとしている領域では、そろそろ次世代の外科のあり方を考える時代になっているのではないだろうか。