ある日、友人医師から訪問診療の依頼があった。「やっかいなお願いなのだけど……」
肺癌ターミナルで入院中のSさん。友人は以前Sさんの担当医だったが、転勤に伴いSさんの診療を別の医師に託していた。しかし、その医師は最期まで諦めず治療することを強くすすめたため、家に帰りたいSさんやその家族と全く意見が合わなかった。
悩んだ家族は、以前の主治医である友人に相談し、たまたまSさんの家の近くで訪問診療を始めたばかりの私に声がかかった。現在の主治医にはあくまで「家で診てくれる医師を家族が探した」という話で通し、Sさんは晴れて家に帰ることができた。
当初、輸液ポンプも含めすべて病院の管理物のままの退院だった。その後Sさんは経口摂取も内服もすすみ、徐々に好きなお酒やタバコも楽しめるようになった。全身状態を確認しながらすべての管理物を外すこともできた。
Sさんは“闘士”だった。職場の組合活動にも熱心で、常に社会に対する声をあげ続けた。地域の人も使える職場の保育所を作り運営していた。自ら信じた道を貫く人で、肺癌になろうとも決してタバコをやめなかった。
また多くの人に愛され、いつも周りに人が集まっていた。私も家に何度か誘われ、友人医師や訪問看護師、入院の看護師も一緒に集い、笑い、Sさんとも飲み交わし、ともに楽しい時間を過ごした。
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