明治2(1869)年10月27日の早朝――。
大阪府医学校病院の手術場に消毒剤の石炭酸水と昇汞水(塩化水銀)が運び込まれ、幅広の繃帯や綿撒絲も多数用意された。
午前7時40分、手術台に横たわった大村益次郎にクロロホルム麻酔がかけられた。
患者が眠ったところで手術助手が下腹部から右下肢の足先までヨードホルムを用いて入念に消毒をした。次いで、腐臭漂う右患肢を清潔な脚袋で包み、右股関節の根元にゴム製の駆血帯で血止めをした。
「駆血帯は40分以内に外さないと危険である。手術はそれまでに終わらせねばならん」。ボードインはそういって回りの助手たちに注意を与えた。
午前8時。メスを手にしたボードインが「お願い申す」と助手たちに軽く礼をして右大腿切断術が始まった。
術者は術野を照らす灯火にメスをキラリと光らせ、右大腿の皮膚に鮫の大口を思わせる形状の皮切を加えた。大腿前面の皮弁は切断後の大腿骨下端を広く覆うように背面の皮弁よりも大きく模った。
ボードインのメスさばきは見惚れるほど巧みで、手術は素早く進行する。
つづいて皮下組織を切り、筆頭助手の緒方惟準が筋鈎を用いて術野を十分に拡げる。
術者は幾層にも重なりあう大腿筋群の間を探って太い大腿動・静脈を見出し、これらを結紮した。
つづいて大腿筋群と強靱な腸脛靱帯を切離して大腿骨の骨膜に達した。
ここでボードインは骨用鋸を用いて太い大腿骨を遠位3分の1の辺りで骨粉を巻き散らしながらゴリゴリと引き切った。
右大腿骨下端は膝関節もろとも切り離され、待ち構えた足持ち助手の両腕にドサッと落ちた。
「駆血帯を外せ」とのボードインの指示によりこれが除去されると、患肢の皮下と筋肉はみるみるうちに赤味を帯び、中小の動静脈から血液が溢れでた。すかさず助手たちが血管を縫合糸で結紮する。
止血の状態を確かめたボードインは大腿骨の切断端を残存する大腿の厚い筋層で十分に覆い、体重を負荷しても耐えられるように縫い上げた。
それから筋膜と皮下組織を縫い、最後に皮弁で大腿下端を覆うように皮膚を縫合した。この際、手術創の一部を開放創とし、ここに分泌液を外部に誘導するため、ヨードホルムを浸したガーゼドレーンを挿入した。
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