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「種痘をすれば牛になる」から「ヒトは接種で人となる」の時代へ[エッセイ]

No.4875 (2017年09月30日発行) P.72

菅野恒治 (菅野小児科医院)

登録日: 2017-10-01

最終更新日: 2017-09-26

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  • ワクチンが果たす役割を否定する人は少ない。しかし、いわゆる「副作用」と言われる有害事象の話題も尽きない。その中には誰が考えても理に合わない、いわゆる流言飛語も含まれる。ワクチンは何故か古から流言飛語の伝統的な対象である。「種痘をすれば牛になる」はその代表的なものであろう。この流言飛語から転じ、平穏な社会生活が可能となるために如何にワクチンが役立っているか、その一部分ではあるが考えたい。

    なぜ予防接種が揶揄の対象となるか

    ワクチンが利用される前は、感染症罹患の比率かつ死亡率が高く、その罹患頻度の高い年代(いわゆる子ども時代)を無事に経過し成人となる者が、現在と比較して少ない時代があった。そのため「はしかを大過なく経過した児」を戸籍に入れた国があったという。その時代の当該感染症は社会全体の心配事、関心事であった。その後、発明された種痘をはじめとした各種ワクチンは、その効果において目を見張るものがあった。

    発症予防に劇的な効果を示した種痘の接種を受けることは、「怖いもの見たさ」、「命がけ」に似たものがあったであろう。この流言飛語の提唱者を特定することは不可能であり、現在もその理論を支持する科学的理論はない。一般的に流言飛語は△△(接種)をすれば○○となる(ならない:正的な内容)、ではなく××となるという負的内容のものが多い。牛になる以外にほかのワクチンで不妊症となる、自閉症となるなど枚挙に遑がない。流言飛語はまたたく間に社会受けをし、万人の周知事項となり、それが誤りであることと理解し納得するには無駄な長時間と労力を要する1)。しかし効果、臨床反応に心配ないことが確認されると、その流言飛語は次第に立ち消えとなる。

    本来、感染発症は本人の知らぬ間に病原体の侵入により発症するため、それなりに自己責任として納得する。予防接種は如何に弱毒化や無毒化された状態のものを使用するとは言え、人工的に感染の機序を経るために生じた少しの臨床反応も許し難く、あきらめがつき難い。

    治療上の薬害は現在の忌まわしい症状の除去にあるため、その薬剤の大きな不都合も納得せざるをえない。予防接種は基礎疾患を持つとは言え「健康人」への医療行為であり、少しの反応的症状も容認しがたいのである。

    種痘をすれば牛になる

    種痘の起源は1796年にあり、過去数億人が種痘の接種を受けたが、牛になったという事実確認や、その理論を肯定する論文が話題となったことを知らない。わが国でも緒方洪庵が1849年、大阪に牛痘を用いた「除痘館」という種痘所を開設したとき、「種痘をすれば、牛になる」という流言飛語の払拭に苦労したという2)

    「牛になる」の出発点は種痘はウシ由来のワクチンを使用するところにある。ウシ由来の薬剤で予防するということは、発明された当時から経験則として知られていた。ウシのエキスを人体に植え込めば牛となってしまう、と飛躍して揶揄したのであろう。当然そこには現在でも牛にすることが不可能である遺伝子組み換えの理論など存在しない。この流言飛語は種痘の発祥の地、医学先進国であるヨーロッパでもあったという。それが外国との交易が少ない日本にどのようにして浸透したのであろうか。

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