「要するに武士も百姓も職人も商人も医師も坊さんも、だれもが一緒くたになって何人もの名代を選び、その名代たちが御政道を預かるのだ」
「すると百姓町人が公方様をさしおいて随意に政事をおこなうのですか」
「そうするためにフランス国では町民たちが皇帝の軍隊を相手にはげしい闘いと数多の血を流してようやく『ゲメーネベスト(共和国)』を獲得したのだ」
「へえ、では百姓町人が下剋上を敢行して世の中をひっくり返したのですか」
「うむ、近頃読んだナポレオンという武将の英雄伝には『人々これを“ヨーロッパ総州革命の乱”と呼び、町人みな自由の世になれるを歓び、百姓奮起して正明の治定まるを待つ』と書いてあった」
わたしは唖然として座布団の端を握りしめました。
「そ、そんな空恐ろしいことを……」
頭がくらくらとゆらぐのを覚え、
「異人の危ない料簡にかぶれていては三英さんの命がいくつあっても足りません」
と肩を震わせて忠告しました。
「なあに頭の中で考えるだけなら、なんの罪にも当たるまい」
とあなたは笑っておられ、
「これからも『デモクラチイ』や『ゲメーネベスト』について崋山殿と心ゆくまで問答を交わすつもりだ」
と眼を輝かせておられました。
三英さんはまっすぐな気性で、すべて物事の条理を尽くす追究心に富んだ御方です。
「世の真実を探り当て、信念をつらぬかねば生きる価値はない」
というのが口癖でした。
その信条の根っこには西洋の多彩な学問と文化に対する敬意と深い愛情にみちていたのです。
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