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高野長英(3)[連載小説「群星光芒」167]

No.4754 (2015年06月06日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-17

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  • 江戸へ帰る途中、道連れになった男がいた。江戸へ着くと高野長英はその男のために奉公口を探してやった。ところが男は数日後に前借金の3両と鼈甲の櫛と笄を盗んで逐電した。

    「おまえは男の身元引き受け人だった。すべてを償え」

    主人にそう迫られ、素寒貧の長英はやむなく半年の間、旗本屋敷で仲間奉公をして男の前借金3両と高額の髪飾りの代金を弁済した。

    「旗本屋敷の奉公を終えて吉田塾へ戻ると長淑先生はすでに他界されていたのだ」

    そこまで話すと長英は亡き師を偲ぶまなざしとなり遠くを見つめた。

    『大観堂』で長英の身の回りの世話をするのは若党の昌次郎と下男たちだった。

    長英の友人たちがやってくると、それぞれの嗜好を熟知する昌次郎が酒肴を用意する。伊東玄朴、戸塚静海、坪井信道、鈴木春山といった長英と懇意の蘭方医が入れ替って塾にあらわれ、控えの間で雑談しながら酒を飲んだ。

    シーボルトの門人だった玄朴は、新入りの弥太郎に長崎時代の長英について語ったことがある。

    「長淑先生が亡くなられたあと、門人の今村甫庵という長崎通詞が故郷へ帰ることになった。その際、甫庵は長英さんに同行をすすめたのだ。文無しの長英さんは友人たちに路銀を借りて長崎へむかった」

    20歳で鳴滝塾に入門した長英はたちまち頭角をあらわして塾頭に選ばれた。

    「シーボルト先生が長英さんを手放しで賞めるのでやっかむ門人もいた。あいつは酒と女無しでは一日も居られぬとか、何事も己れの力でやれたと思い込んで人の恩を忘れる高慢な奴だ、などと陰口を叩きおった。たしかに長英さんは金銭の始末にいい加減で長崎遊学の際の借金はだれにも返してないが、皆が疾うに諦めておる」

    玄朴は自分が体験したいわゆる「シーボルト事件」についても語った。

    残り1,538文字あります

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