「拙僧は近頃強い胸痛を覚えてな……」
と浄海は力のない声でいった。
「近在の漢方医に脈をとってもらったが一向によくならない。胸痛だけでなく微熱や寝汗もある」
そう告げる浄界の頰はげっそりとやせこけていた。
「浄界さんは清澄寺の再興にうちこみすぎて心労が重なったのでは」
「うむ、かなり体力を消耗したからな。それに気もいささか弱くなった」
「ならば、ぜひとも名医の信道さんに脈をとってもらわねば」
浄界は苦笑して答えなかったと、源介の手紙には記されていた。
――兄は若い頃患った胸病が再発したのかも知れない、と信道は考えた。
――すぐにも見舞いにゆきたいが、いまだ義絶の身ゆえ、いきなりは逢えまい。
身辺多忙の信道は門人の緒方洪庵に兄の診療を頼むことにした。
洪庵は天保2(1831)年春、大坂から出てきて4年間、信道の『日習堂』で修業に励んだ。その後は長崎で蘭学を学び、大坂に帰ると瓦町に蘭学私塾『適々斎塾』(通称『適塾』)を開いた。信道より15歳年下だが、適塾の門下からは俊才英才が輩出して洪庵の盛名は上方に知れわたっている。
信道は洪庵に宛てて依頼状を書いた。
「やつがれに代わって兄の診療をお頼み申す。以前、吐血があり胸病と診断して治療したことがある。天賦性急の僧侶ゆえ、くれぐれもご配慮を乞う」
恩師の令兄が病床に呻吟していると知った洪庵は清澄寺の浄界の許に急いだ。
浄界も『適塾』の緒方洪庵といえば浪速きっての名医だと知っていた。斯界の国手がじきじきに脈をとりにきてくれたことにいたく感激した。
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