上野御徒町に医塾『象先堂』を構える蘭方医の伊東玄朴は一度だけ奥医師の多紀元堅と行き逢ったことがある。その日玄朴は上野練塀小路の蘭方医大槻俊斎の家を訪れ、懸案の種痘について話し込んだ。
帰宅するとき日本橋の本町に駕籠を回して洋薬を商う笹屋清右ヱ門の店に立ち寄った。この辺りは薬種問屋が軒を並べる。その折、斜向かいの生薬屋の店先に長柄の権門駕籠が止まっているのが目についた。
「あれは多紀家の往診駕籠でございます」
店主の清右ヱ門が玄朴に耳打ちした。
ほどなく向かいの生薬屋から葵紋の羽織を着た肥満体の漢方医があらわれた。立ち止まって辺りを睥睨すると鋭い目をこちらに向けた。一瞬玄朴と目があったが、すぐに視線を外し、10人ほどの供回りに恭しく導かれて長柄の駕籠に乗り込んだ。
「あの者が漢方医界を牛耳る医学館の総帥か。わしより5、6歳年長のようだが」
初めて見た多紀元堅は浅黒い肉厚の丸顔を猪首に埋め、でっぷりと肥えていた。目も耳もひときわ大きく、分厚い口唇をぎゅっと結び、肩を怒らせて傲然と辺りを睥睨した。
玄朴は清右ヱ門から元堅にまつわる噂話をいくつかきいたことがある。
「多紀一族は奈良時代の 丹波康頼にはじまる名門です。一族の子孫は江戸へ出て多紀と姓を改め、多紀元孝、元悳、元簡様と3代に及びました。この間に多紀家が創立した私営の医塾『躋寿館』は公儀直轄の『医学館』に昇格しました」
清右ヱ門は大きな鼻先を揺するようにして語った。
「元簡様は親分肌で人望もあり周囲から慕われていましたが、若い頃はかなりの遊び人だったようです。盛んに遊里に出入りして芸妓に生ませたのが次男の元堅様です。日陰の身ですから下町で育ちまして近所の犬に唐犬をけしかけたりする、手におえない腕白坊主だったときいてます」
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